名将・広岡達朗が誓った“巨人への復讐”。最弱球団を率いて2年半で達成

名将・広岡達朗が誓った“巨人への復讐”。最弱球団を率いて2年半で達成

西武の監督就任1年目の’82年、日本シリーズ第6戦で中日を下して日本一となり、ナインに胴上げされる広岡

大男たちが一投一打に命を懸けるグラウンド。選手、そして見守るファンを一喜一憂させる白球の行方――。そんな華々しきプロ野球の世界の裏側では、いつの時代も信念と信念がぶつかり合う瞬間があった。あの確執の真相とは? あの行動の真意とは?“打撃の神様”と呼ばれた川上哲治との確執が原因で巨人を退団した広岡達朗。その後の信念と軌跡に迫る。

◆因縁の巨人を倒し、監督オファーさえも蹴った広岡の“信念”

 ’66年、川上哲治との確執が原因で引退を余儀なくされた広岡は、その後も闘志を燃やし続けた。MLBが「メジャーリーグ」ではなくまだ「大リーグ」と呼ばれていた時代に、本場の野球を観て勉強すべく動きだしたのだ。日本人選手がメジャーを舞台に活躍し始める30年近く前のことだ。

「1ドルが360円の時代、2月中旬から6月下旬までの4か月強を自費でアメリカに滞在した。(母校の)早稲田大の知り合いに英語を習い、なんとか日常会話程度をマスターして一人で渡米。途中、お金がなくなったから送ってもらったこともあったな。ベロビーチで巨人がキャンプしていたから視察に行くと、突然練習をやめてしまうんだ。『広岡に見せると他のチームに筒抜けになる』と、まるでスパイ扱い。このときは悔しくてたまらなかった……」

 かつての古巣へ陣中見舞いという形で顔を出しただけなのに、知らぬ間に裏切り者というレッテルを貼られ、忌み嫌われていることを知った広岡はひどく落胆した。

1 2 3 4 5 6 次へ

関連記事(外部サイト)