名将・広岡達朗が誓った“巨人への復讐”。最弱球団を率いて2年半で達成



「根本さん(当時の管理部長)と坂井(保之、元球団代表)の2人がオーナーの堤さんをがっちりガードして、俺に全然会わせてくれなかった。根本さんは『スポーツ紙にいろいろ書かれてもまったく気にしなくていい』と最初は言っていたのに、’85年に東スポにああだこうだと書かれると『この記事はどういうことだ?』と詮索してくるようになった。あまりにうるさいので売り言葉に買い言葉で『じゃあ、もう辞めますよ』って言うと『そうか、辞めてくれるか』だからね。辞める理由も健康上の理由ってことにしておいてくれとまで言われたんだから」

 またもや任期半ばでの辞任となったが、広岡の在任期間4年のうち、3度のリーグ優勝、2度の日本一を達成している。西武はその後、’86年から’95年にかけてリーグ優勝8回、日本一6回。’84年に広岡が若手主体に切り替えたことが黄金期の基盤となったのは言うまでもない。

◆球界とのミスマッチ

「’88年オフには、巨人から監督要請が来た。だけど、(当時監督の)王をクビにしてその後釜で、という話だったから、そんな席にヌケヌケと座れるかと思って断ったんだ」

 自分を裏切り者扱いした巨人を他球団の監督として破り、最終的には巨人からの監督就任の打診を蹴った広岡。その後’95年にはロッテのゼネラルマネージャー(GM)に就任するも、ここでもわずか2年で解任される。

関連記事(外部サイト)