鬼才・園子温がニコラス・ケイジとタッグ。還暦にしてハリウッドデビューできた理由



◆映画が僕を外に連れ出してくれた

――そんなに変わりますか?

園:それまでずっと一人で創作していたのが、彼女が手伝ってくれる。一人と二人じゃ、大違いですよ。彼女に出演してもらった映画が、ぴあフィルムフェスティバルでグランプリを獲って、そのスカラシップで、16ミリの映画を一緒に作った。それが初めて劇場公開された『自転車吐息』。映画が僕を外に連れ出してくれたのは間違いないです。

――25歳という若さで劇場公開を果たしたあと、すぐに商業映画監督としてのデビューにはならなかったんですよね。

園:そのあと映画から離れ、「東京ガガガ」の活動に専念したりしていたら、もう30代の終わりに差しかかり、このままじゃダメだと思った。引きこもりから東京に飛び出したときのように、次は「アメリカだ!」と、文化庁にも支援してもらって、サンフランシスコの大学に通って映画の勉強をしようとしたんです。

でも結局ダメだった。すぐにお金が尽きて、ホームレスみたいな感じになっちゃいました。それでも、やっぱり俺は映画を撮りたい、それも一回は商業映画監督デビューしたいと思ったのが1999年。20世紀の終わりに、アメリカで書いた脚本が『自殺サークル』でした。

◆嫌われる映画が園子温のテーマになった

――商業デビュー狙いには、とても思えないタイトルですが……。

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