広岡達朗は川上哲治に兄を重ね…確執の先にあった“ある想い”

広岡達朗は川上哲治に兄を重ね…確執の先にあった“ある想い”

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門田博光、田尾安志、広岡達朗、谷沢健一、江夏豊……昭和のプロ野球で活躍したレジェンドたちの“生き様”にフォーカスを当てた書籍『確執と信念 スジを通した男たち』。

 大男たちが一投一打に命を懸けるグラウンド。選手、そして見守るファンを一喜一憂させる白球の行方――。そんな華々しきプロ野球の世界の裏側では、いつの時代も信念と信念がぶつかり合う瞬間があった。あの確執の真相とは? あの行動の真意とは? プロ野球界に飛び込んで68年、御年90歳を迎えたレジェンドである広岡達朗が今明かす”信念”の行方とは――(以下、同書より一部編集の上抜粋)。

◆「川上哲治から虐げられ続けた」

「カワさん(川上哲治)には、入団から引退までずっと虐げられ続けた。もし水原(茂)さんがずっと監督を務めていたら、何度も3割を打ってるよ」

 冗談めかして話す広岡だが、内心本気ではないかと感じさせるほど巨人時代に壮絶な軋轢を生んでいる。広岡と川上の確執の要因は、野球観の相違というより人間性が相容れなかったように思える。

 広岡が早稲田から入団した頃の巨人軍はリーグ三連覇中で、名将と謳われる水原茂監督のもと、チームの大黒柱としてプロ入り14年目の四番打者・川上哲治が君臨していた。

「一番上の兄貴と川上さんが同じ年なんだ」

 広岡が川上について初めて語るときに発した言葉だ。

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