長渕剛の“愛国心”はどこから生まれたのか?“貧しさ”を歌っていた時代からの変化

長渕剛の“愛国心”はどこから生まれたのか?“貧しさ”を歌っていた時代からの変化

長渕剛『Stay Alive』

◆外国人による土地の購入を危惧するMCが話題に

 長渕剛のある発言が話題を呼んでいます。自身のYouTubeチャンネルで公開した札幌公演のライブ動画で、外国人による土地の購入を危惧するMCシーンがあったのです。

<この北海道という街は、その昔、開拓民たちが一生懸命に開拓した街だ。お願いだから、この自然に満ち満ちた土地を、外国人に売らないでほしい!>
<お金にまみれないで、心を一つにして今こそ、僕たちの先人たちが築いてきた共有する心や、和合する心や、そういう日本人の美しい気持ち、それを大事にして、またここから5年10年15年100年と一緒にやっていこう>

 この言葉に多くの観客がうなずき涙ぐんでいました。さらに10月2日には自民党の片山さつき参院議員が賛同。<素晴らしいと思います。敵は狡猾ですが、国民の共感があれば戦えます。>と自身のツイッターに記したのです。

◆歴史を振り返れば、日本人が“狡猾な敵”の時代もあった

 前提として個人がどのような思想信条を持つかは自由であることは押さえておきましょう。また、長渕、片山両氏の発言が主に中国人を想定していることも想像に難くありません。そうしたシナリオで現状の日本を憂うこと、これもまた自由です。

 けれども、少し歴史を振り返れば、外国人がよその国の土地や不動産を買い漁ることなど珍しくないことがわかるはず。バブル末期にニューヨークのロックフェラーセンターやエンパイアステートビルを買ったのはどこの国の人だったでしょうか? 他ならぬ私達日本人こそが、“狡猾な敵”として傍若無人に振る舞う時代があったことを忘れてはいけません。

 さて、そのうえで考えたいのは長渕氏の“愛国心”と音楽性についてです。思想と作風が一体化している昨今の氏をどうとらえたらいいのか。

 そこにビルドアップされた肉体が与える影響も小さくなさそうです。なぜなら、ワークアウトの前後では作風に大きな断絶があるように感じられるからです。

◆1989年の曲では“貧しさ”を描写していた長渕

 実際の楽曲から見ていきましょう。

 札幌公演のMCからもわかるように、長渕氏のキャリアを貫くテーマのひとつが日本人とカネです。

 肉体改造前の「いつかの少年」(1989年)では、半径5メートルほどの小さな世界から自身の体感をもとに、貧しさを描写しています。

<親父とお袋は泥にまみれ銭をうらやみ そのド真中で俺は打ち震えていた>
<雨どいを伝う雫を見るのがたまらなく嫌だった>

 バブルの絶頂だった時代にここまで生々しく飢えを訴えた曲は稀です。その根底にあるのは膨れ上がる日本への恨みと、それでもそこから逃れることのできない執着のようなもの。そんな負の感情に目を背けたくなる弱さをサザンゴスペル的な大きなメロディで表現する。そこに反語的なハーモニーが生まれていたわけですね。

◆肉体の強化とともに愛国心も増大?

 ところが、その後肉体を強化するのに比例してかつての負い目は消え去り、代わりに長渕氏は国家と同化して感情移入する表現を展開します。

 特攻隊をテーマにした映画『男たちの大和/YAMATO』の主題歌「CLOSE YOUR EYES」(2005年)では英霊たちの<気高い勇気>を称揚。その後にはズバリ、「神風特攻隊」(2007年)なる曲も発表します。

<神風特攻隊のように 傷つくことを恐れないで…
 神風特攻隊のように 真っすぐな愛で 立ち向かって生け!>

 これを長渕氏は骨太なブルース・ロックサウンドで説法のように発破をかけるのです。断じてジョークではないのです。

 ライブでおなじみの客席を埋め尽くす日の丸は、この一連の楽曲群から生まれたと言って差し支えないでしょう。

◆国を憂う思いは「いつかの少年」の反動か

 ここまで、“外国人から土地を守れ”発言につながる道筋を振り返ってみました。すると、いま国を憂う思いは「いつかの少年」の反動なのではないか、とも思うわけです。

 アメリカのソングライター、ランディ・ニューマンの「Follow The Flag」という曲があります。アンセム風の荘厳な曲調で、偉大な国旗に自らを投影する人達の心象を歌っています。あえて感動的なハーモニーにすることで、国旗に入れ込む心理を皮肉っているのですね。

<みんなそんなものはただの絵空事だと言う
 何の意味もないし 嘘っぱちだなんて言うやつもいる
 でもそれは違う 俺は死ぬまで国旗に従属するんだ> (筆者訳)

◆「日本人の美しい気持ち」とは一体なんなのか

 誤解のないようにしておくと、決して国旗の存在や国旗を振ることが悪いのではありません。けれども、なぜ国家や旗を通して気高さや美しい心根を証明しなければならないのでしょうか?

「日本人の美しい気持ち」でひとつになって外国人から国土を守ろう。確かに勇気ある呼びかけです。

 一方で、その大志の出どころを考えると、ふと立ち止まりたい気もするのです。

文/石黒隆之

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4

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