五輪汚職、捜査対象は政治家まで広がるか?舛添要一氏が「当時の内幕」を語る

五輪汚職、捜査対象は政治家まで広がるか?舛添要一氏が「当時の内幕」を語る

「五輪のコストにうるさく、細かいことを言う私も利権に絡む勢力から相当疎まれていたようです。だから、猪瀬氏同様に知事の座を追われたのでしょう」(舛添氏)

五輪汚職が拡大している。捜査対象は「バッジ」(政治家)まで広がるのか? 五輪開催前に都知事を辞任した舛添要一氏をはじめ当時の関係者が重い口を開き始めた。

◆安倍元首相の突然の「死」が眠れる検察を目覚めさせた

 10月19日、東京地検特捜部は元東京五輪組織委員会理事・高橋治之容疑者の4度目の逮捕に踏み切った。高橋の勾留延長期限ギリギリとなったこの日、特捜は広告代理店ADKホールディングスの植野伸一社長ら3人を逮捕。これで五輪のスポンサー選定を巡る贈収賄事件で身柄を押さえられたのは総計12人となった。

 世論の追い風を受け、検察内部では若手を中心に士気が高まっているという。裏を返せば、失態続きで自信を失っていた検察が、秋霜烈日のバッジに託されたプライドを取り戻しつつあるということだ。

「ああいうかたちで(’20年5月の麻雀賭博報道をきっかけに)職を追われたとはいえ、黒川さん(弘務・元東京高検検事長)の隠然たる影響力は残っており、若手のなかにはそんな検察のふがいなさに失望する声すらあった。やはり、安倍元首相の死がなければ、捜査がここまで至ることはなかったのではないか」

◆「落合さんの勇退までに、何とか『バッジ』(政治家)を取れれば……」

 こう検察内部の人間が自戒を込めて話すのには理由がある。安倍晋三元首相が銃弾に倒れた7月8日を境に、見えない重しが取り払われたかのように五輪汚職を巡る捜査が動き始めたからだ。

 捜査が大きく進展したのは、検察人事が深く関係していると見て間違いない。今年6月末、検事総長に甲斐行夫氏が、東京高検検事長に落合義和氏がそれぞれ就任。1月の東京地検特捜部長に特別公判部長の市川宏氏を充てた人事と相まって、人事権を握る官邸から解き放たれたと強く印象づける組織刷新だった。

「落合さんの定年が来年初めに迫っており、それまでに捜査を仕上げなくては、という焦りもある。また、想定内ですが、高橋はまだオチていません。この先も勾留延長と再逮捕を繰り返すことはできるが、世論の風向きの変化は怖い。11月には次の『階段』に上がり、落合さんの勇退までに、何とか『バッジ』(政治家)を取れれば……」(前出・検察関係者)

◆贈収賄の「スキーム」は’14年の時点でつくられた

 8月の高橋容疑者の逮捕直後、筆者と週刊SPA!取材チームは今回の汚職事件を巡る「3つの予想」を確認していた。

①スポンサーから組織委に支払われる広告費が広告代理店を経由する際に、高橋容疑者の幽霊会社にカネを還流する事件の「スキーム」
②最初の逮捕後、勾留延長期限ギリギリの20日ごとに、新たな賄賂のルートを確定し、最重要容疑者の高橋を決して娑婆に出さず(仮釈放せず)、「階段」を上がっていく捜査の「ロードマップ」
③五輪オフィシャルサポーター20社の中から「道具」(階段を上るための逮捕者)を使い、最終ターゲットのバッジに迫る「逮捕者リスト」

 この見立ては一つずつ現実のものとなっている。今回も高橋容疑者の再逮捕と同時に、特捜はADKの新たな逮捕者という「道具」を手に入れ、捜査の階段をまた一段上った。

 筆者は、①に挙げた「スキーム」の原型がつくられたのは、高橋が組織委入りする’14年の早い段階と見ている。’13年12月24日、資金提供問題で蜂の巣をつついたようなメディアスクラムが続くなか猪瀬直樹都知事が辞任。年を跨いで’14年2月9日に都知事選が行われ舛添要一新都知事が誕生したが、この間の知事が不在だった「空白の48日」の間に多くの青写真が描かれたということだ。

◆猪瀬氏は知事の職から「引きずり降ろされた」?

 利権に群がる魑魅魍魎にとって、道路公団改革などに取り組んできた作家出身の猪瀬都知事は面倒な存在だったに違いない。ましてや、五輪運営を独善的に推し進めようとしていたならなおさらだろう。結果的に、猪瀬氏は知事の職から「引きずり降ろされた」ようだ。猪瀬氏の後に都知事を務めた舛添氏が話す。

「猪瀬氏は自らが組織委の会長に就くと言っていたそうです。都議会関係者からは『大会運営を牛耳ろうとしていた』と教えられました。その後、経済界から会長を招く話になったが、猪瀬氏の人選では彼が組織委を牛耳ろうとしていることに変わりはない。こうした動きに危機感を抱いた勢力が、スキャンダルを掘り起こし、マスコミも動員して排除したと聞いている」

 猪瀬都知事は組織委の会長選びについて、自分がダメなら経済界から招聘する思惑だったという。猪瀬都知事の報道官を務めた元五輪組織委総務局長の雜賀真氏が話す。

「確かに、猪瀬知事は組織委の会長をやりたがっていましたが、主催都市のトップである知事が運営主体の組織委の会長を兼務するのはうまくない、と事務方から進言しました。その後、竹田恒和JOC(日本オリンピック委員会)前会長の名も挙がりましたが、日本体育協会会長を務めていたこともあり、トヨタ自動車の張富士夫名誉会長(当時)に白羽の矢が立ったのです」

◆五輪決定の歴史的瞬間、高橋はあの場所にいた

 猪瀬氏は当時の内幕を、’17年に出した自著『東京の敵』(角川新書)にこう綴っている。

「当初は張さんに会長になってもらい、僕と竹田さんで副会長を務めつつ、外資系金融・会計・コンサルで実績のある人間にCFO(最高財務責任者)として入ってもらえるよう、水面下で動いていました。(中略)トヨタで経営をしてきた張さんとシビアなCFOがいれば、お役所のような無責任経営にはならないと考えたのです」

 不可解なのは、高橋容疑者が組織委の理事に就くかなり前から五輪利権に食い込んでいた兆候がある点だ。前出の舛添氏もこう首をかしげる。

「高橋氏は東京招致が決まった’13年9月、ブエノスアイレスで開かれたIOC総会の場にいた。つまり、森喜朗会長、高橋理事という組織委の人事は、すでにこのとき決まっていたのではないか。実際、私が知事に就任したときには、すべては決定済みでした」

◆「直前まで森氏を会長に推す声は一切なかった……」

 6年前という早い段階で高橋を危険人物と見抜き、国会で実名を挙げ追及していた議員がいる。神奈川県知事も務めた松沢成文参院議員だ。

「高橋容疑者は、’16年6月に組織委理事の任期を迎えようとしていた。私は同年4月、国会でこの事実を当時の遠藤利明五輪担当相に指摘し、高橋氏の更迭を迫ったが、『政府には組織委の人事権がない』と聞く耳を持たなかった。だが、森元首相が五輪組織委の会長に収まった人事は、都と国、JOCらによる4者協議で決まった。つまり、組織委の人事に政府の意向を反映させることはできたのです」

 かくして、猪瀬都知事辞任後、舛添都政に移行するまでの「空白の48日」の間に組織委が結成され、そのトップに森元首相が就くことになる。

「ただ、直前まで森氏を会長に推す声は一切なかった……」

 関係者の多くはこう口を揃える。なぜ、森氏の名前が急浮上したのか? 果たして、ブラックボックス化した国家プロジェクトが動き始める――。(次号に続く)

撮影/山崎 元(本誌)

―[五輪汚職「森ルート」を暴く!]―

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