暴走戦士の“頭脳”ポール・エラリング――フミ斎藤のプロレス読本#017【ロード・ウォリアーズ編2】

暴走戦士の“頭脳”ポール・エラリング――フミ斎藤のプロレス読本#017【ロード・ウォリアーズ編2】

『フミ斎藤のプロレス読本』#017 ロード・ウォリアーズ編エピソード2は「暴走戦士の“頭脳”ポール・エラリング」の巻。専属マネジャー、P/エラリングは“3人めのロード・ウォリアーズ”なのだ。(写真はポール・エラリングのパブリシティ・フォトから)

 198X年

「ある夜、わたしは不思議な夢をみた。それはわたしがレスリング・マネジャーになる夢だった」

 明くる日、アトランタのTVスタジオに行ったら、髪を短いクルーカットに刈りあげたアニマルとホークがいた。ミネソタからやって来たばかりのルーキーだった。

 ポール・エラリングは、彼らがその夢の“正体”なのだということをすぐに理解した。このとき、アニマルは23歳で、ホークは26歳。まるで数年まえの自分の姿をみているようだった。

 エラリングは1953年、ミネソタ州メルローズ生まれ。1977年にNCAAパワーリフティング選手権(220ポンド級)に優勝。デッドリフト754ポンドの全米記録保持者(当時)。バーン・ガニア道場でレスリングの手ほどきを受け、1978年、AWAでデビューした。

 典型的なボディービルダー・タイプのパワーファイターとしてテネシー、ミッドサウス(ルイジアナ、オクラホマ、ミシシッピ)、NWAジョージアを転戦。

 ブリーチ・ブロンドとタイダイ(絞り染め)のタイツをトレードマークにあの“スーパースター”ビリー・グラハムの再来といわれた時期もあったが、ジョージアをツアー中にヒザの故障でセミリタイヤ。ここでロード・ウォリアーズと運命的な出逢いを果たした。

 ウォリアーズがNWAジョージアでデビューした1983年は、アメリカのプロレス史においてはWWEの全米マーケット侵攻プロジェクト“1984体制”がスタートする前年にあたる。

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