大田昌秀・元沖縄県知事死去 反基地知事は実はアメリカナイズされた人だった!?

大田昌秀・元沖縄県知事死去 反基地知事は実はアメリカナイズされた人だった!?

大田元県知事が息を引き取った6月12日、『琉球新報」は号外を発行して、その死を悼んだ

 沖縄県の元知事・大田昌秀氏が6月12日に亡くなった。92歳の大往生である。この日は大田氏の誕生日で、入院先の那覇市内の病院に集まった家族や琉球大学教授時代の教え子らが「ハッピー・バースデイ」を歌うのを聞き終えてから、すーっと眠るように息を引き取ったという。

 大田氏といえば、琉球大学でジャーナリズム論などを専門とする教授を経て、1990年の知事選で革新各党に担がれて当選。在任中の1995年に沖縄本島北部で起きた米兵による少女暴行事件をきっかけにした県民の怒りを背景に、米軍用地の強制使用の代理署名(地権者に代わって知事が署名し、用地の使用を認める方法)を拒むなど、政府に基地問題の解決を迫り続けた知事として知られる。大田氏と個人的に深い関係を築いていた橋本龍太郎首相率いる政権は、これに応えるべく米国政府との間で96年に米軍普天間飛行場の返還で合意すると、大田氏もいったんこれを歓迎。

「厳しい状況の中で、県民が最優先課題として求めていた普天間返還を実現させたことは、日米両政府の誠意の表れ。無条件の返還が望ましいが、それでは実現しない。より危険度の少ない関連で解決を図っていくことしか、われわれに道はない」

 そう述べていた。だが、その後、普天間飛行場の代替地として名護市辺野古沖がクローズアップされていくと、これを拒否して橋本政権と激しく対立した。

 1998年の知事選で敗北後は、2001年の参議院選挙で社民党から立候補し当選。

1 2 3 4 5 6 次へ

関連記事(外部サイト)