WWE日本公演“マニア・ツアー”――フミ斎藤のプロレス読本#061【WWEマニア・ツアー編エピソード1】

WWE日本公演“マニア・ツアー”――フミ斎藤のプロレス読本#061【WWEマニア・ツアー編エピソード1】

『フミ斎藤のプロレス読本』WWEマニア・ツアー編エピソード1は、ニューヨークからトーキョーに大移動してきたWWEスーパースターズのツアー1日めの風景。ショーン・ウォルトマン(当時のリングネームは1−2−3キッド)は、ホテルに着くなりローカルの友だちに電話をかけまくった(写真はWWEオフィシャル・パブリシティー・フォトより)

 199X年

 ショーン・ウォルトマンは、ホテルにチェックインし、部屋に入って大きなスーツケースを床に寝かせると、かたっぱしからローカルの友だちに電話をかけた。トーキョーはこれで9回めだ。最後に来たのはもう1年以上もまえのことになる。

 ルーキーだったころはライトニング・キッドというリングネームでアメリカじゅうのインディペンデント団体のリングに上がっていたが、メジャーリーグWWEと契約して1−2−3キッドに改名した。レスラー仲間からは“キッド”と呼ばれている。

 キッドというニックネームはそう悪くない。いつもまわりにいる30代のボーイズとくらべたら、まだほんとうに子どもみたいなものだ。

 ショーンは、15歳のときにハイスクールをドロップアウトしてプロレスラーになった。両親はプロレスの世界に入ることに大反対だったから、けっきょく家を飛び出すしかなかった。

 ホームタウンのフロリダ州タンパの名門レスリング・スクール“マレンコ道場”でプロレスの手ほどきを受けた。校長のラリー・マレンコさんが2000ドルの授業料を免除してくれ、その代わりに道場のそうじや練習用具の整理整とんを手伝ったり、ケイコのときはみんなの“投げられ役”になった。

 スクールをいちおう卒業し、プロレスラーとしてデビューしたあとは、ギグを求めて放浪した。太陽の街タンパ育ちのショーンがたどり着いたのは、北部ミネソタだった。

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