消えゆく「東京の屋台」の今――4000万円の借金から始まったラーメン屋台が28年の幕をおろす日

消えゆく「東京の屋台」の今――4000万円の借金から始まったラーメン屋台が28年の幕をおろす日

八重洲ブックセンター本店脇で平日20時頃から営業。鹿児島から取り寄せた材料で作るラーメンは、豚骨ベースながらさっぱりとしている。「お客さんと飲みに行ったり、旅行に行ったり、屋台は出会いの宝庫だよ」(田中さん)

かつて日本においてその存在はごく一般的であった屋台。夜ごとリヤカーを引くその形態は庶民に親しまれ、チャルメラの音に懐かしさを感じる人も多い。しかし、この数十年で激減した東京の屋台は今や絶滅の危機に瀕し、数を正確に知る者もいないという。迫る’20年の東京五輪に向けて、屋台文化消滅の危機感を抱いたSPA!取材班は、現存する屋台の声を聞くべく、夜の東京を駆けた――。

◆今年いっぱいで引退しようかと思ってる

 訪れたのは、八重洲にある豚骨醤油ベースの鹿児島ラーメンがウリの「丸源ラーメン」。大通りから一本入った路地に構えて28年。店主の田中幸男さん(68歳)が屋台を始めたきっかけは、多額の借金だったという。

「一部上場企業を脱サラして、27歳で独立したんだよ。けど、結局つくった会社は倒産してね。残ったのは4000万円の借金だよ」

 無一文で実家の鹿児島で途方に暮れていたところ、地元の人気ラーメン店の店主から「秘伝のレシピを教えてもいい」と声をかけてもらったという。その味を引っ提げて東京へ。店を構える元手はないから屋台で再起を図った。

「八重洲周辺は大企業の社員が多くて羽振りが良くてね。『頑張れよ』とチップを多くくれたよ」

 しかし良いことばかりではない。

「怖い兄ちゃんが5人くらいで来てさ、ただの嫌がらせで何時間も居座るなんてもこともあったな」

 そう語る田中さんは、あることを大切にしているという。

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