元“バズーカップ”アナウンサーのその後。日雇いバイトや「中途採用に50社ぐらい応募」を経て
2023年01月30日 08時53分SPA!

元アナウンサーでグラビアにも挑戦していた別府彩さん
アナウンサー、タレント、アスリート……スポットライトを浴びる華やかな世界は誰もが憧れるもの。だが、そんな職業を選んだ人たちは「不確定な未来」と向き合っている。いつか必ず活躍できるわけではなく、長く続けられるとも限らない。表舞台から遠ざかるにつれて頭をよぎるのが「引退」。しかしながら、その後はどのような道を歩めばいいのか……。セカンドキャリアに悩むのは、「仕方がない」ことなのだろうか?
かつてオートレースのアナウンサーとして活動しながら“バズーカップ”のキャッチコピーでグラビアに挑戦し、大きな話題を呼んだ別府彩さん。「踊る!さんま御殿!!」(日本テレビ)など、多くのバラエティ番組に出演したが33歳で芸能界を引退した。
大手事務所を辞めてから10年以上、彼女は現在なにをしているのか?
◆大学卒業後、華やかな「アナウンサー」の夢を諦めきれず…
別府さんが大学生だった頃、90年代の世の中は「女子アナブーム」真っ只中。各キー局のアナウンサーたちは、CDデビューして踊りながら歌うなどしていた時代だった。もともと目立ちたがりやだった別府さんは、そんなキラキラした世界に憧れ、アナウンサーを目指したという。
「まるでタレントのような扱いを受けながら、安定した会社員でもあるところが魅力でした。ひと通りキー局の採用試験は受けたのですが、準備不足だったこともありすべて落ちてしまいました」(別府彩さん、以下同)
それでも憧れを捨てることはできず、就職をせずに大学時代から続けていたナレーターの仕事で食いつなぐことにした。当時は小泉政権による非正規社員の規制緩和により、「フリーターや派遣社員でも未来は明るい」という風潮があった。別府さんは、正社員ではないことへの不安は少なかったと話す。
「あまり深く考えずに『なんとかなる』と思っていましたね。イベントの仕事もたくさんあったので、収入的にも問題はありませんでした。一瞬、広告代理店で契約社員の仕事をしたこともあったのですが、やっぱり自分は“表に出る仕事がしたい”という思いを捨てきれなくて」
◆オートレースの仕事でフリーアナウンサーに
そんな時、知り合いから「オートレースでレポーターをしてくれる女性を探している」と声がかかった。ずっと人前で話す仕事を熱望していた別府さんにとってはまたとないチャンス。すぐに飛びつき、フリーアナウンサーとしての活動が始まった。
「アナウンス技術もまだなかったので下手だったのですが、当時24歳~25歳だったこともあり、関係者の方にもお客様にも大変可愛がって頂きました。オートレースは競技数が多いので、すぐにレギュラーレポーターとしてTVやインタビュー、イベントなどに駆り出されるようになって。
ナレーターの仕事も並行していたので、毎日忙しくお仕事ができていました。オートレースのお客様から『別府さんのあのコメントのおかげで勝てた』と言って頂けることもあって、大きなやりがいを感じていましたね。しかし、自分が思い描いていた『華やかなアナウンサーの仕事』とは少し違っていたので、若干の物足りなさもありました」
◆2ちゃんねるのスレッドがきっかけでグラビアデビュー
そして仕事を続けること6年。大きな転機が訪れる。フリーアナウンサーでありながら「グラビア」デビューをしたのだ。
「2ちゃんねる(現5ちゃんねる)のオートレース掲示板に私のスレッドが立っていて、胸が話題になっていたんですよね。そんな背景もあって、週刊誌の方が『グラビアをやってみたら面白いのでは?』と提案してくれたんです」
メディアで女性アナウンサーの“タレント化”が進むいっぽう、グラビアに登場するのは珍しかった時代。NHKアナウンサー(当時)の古瀬絵理さんが「スイカップ」と取り上げられて注目を集めていたこともあり、別府さんにも「年末号の特集でグラビアデビューしてみませんか?」と声がかかったのだ。
「性的な目で見られることに抵抗がなかったわけではありません。しかし、今までとは違う仕事を頂けるきっかけになるのであれば、チャレンジしてみようと思いました。オートレースは狭い世界ですが、それでも女性レポーター同士の競争があります。アナウンサーであることに加え、もう一つ武器になるものがあれば、という考えもありました」
◆「バズーカップ」で話題になるも、その後は単発の仕事で食いつなぐ日々
2007年、グラビアデビュー。Gカップだったことから編集部に付けられた「バズーカップ」というキャッチコピーで大きな話題となった。
「雑誌発売前の原稿確認で最初に『バズーカップ』のキャッチコピーを見た時は、“親がどう思うかな……”と少し不安になりました。でも編集部の方に『このくらいインパクトがあるほうがいい、編集会議では大盛り上がりでしたよ!』と言われたこともあって、“せっかくここまで来たのだから”と思い返しました。両親には発売前日に伝えましたが、実際のリアクションは『へー、そうなんだ』くらいでしたね。もちろん、動揺はしていたはずですけど」
グラビアが好評だったことを受け、別府さんはさらに活躍の場を広げるべく、雑誌と履歴書を様々な芸能事務所に送った。アピールは功を奏し、ホリプロに所属が決まる。
「所属して3か月ほどで、なんと『踊る!さんま御殿!!』への出演が決まったんです。俳優と合コンをしたエピソードを披露しました。とても盛り上がったのですが、それ以外ではあまり爪痕を残せなかったんです……さんまさんは、出演者に話をふる前に“次いくぞ”と目で合図をするのですが、自信がなくて逸らしてしまって」
ホリプロに所属した2007年には写真集も発売した。しかし、さんま御殿でのチャンスをモノにできなかったことが災いしたのか、仕事はそこまで増えることはなかった。2009年にはすべてのレギュラーが終わってしまい、再び単発の仕事で食いつなぐことに。
「単発の仕事しかない状況で、収入だけでなくメンタルも不安定になりました。エステサロンのDMはがきのシール貼り、青汁のテレアポなどの日雇いアルバイトをしたこともあります。精神的にも金銭的にも追い込まれていたのですが、そんな時に母が『アナウンサー以外の仕事も探してみたらどう?』と言ってくれて。一度アナウンサーの仕事を離れてみようと考えました」
就活を始めた別府さんだが、会社員経験がなかったため、中途採用の求人に片っ端から履歴書を送るも、そのほとんどが不合格だった。
◆初めての会社員経験から徐々に見えてきた「セカンドキャリア」
「50社くらい応募してようやく正社員として採用してもらえたのは、住宅のパンフレット作成やイベント運営をする会社でした。『アナウンサー経験者ならイベントでMCもやってもらえそう』と考えていただけたようです。
本来はコピーライターの募集だったのですが、オートレース時代にはコラムを書いていたこともあり、コピーライターとしての可能性も買ってくれたのだと思います」
この会社では2年ほど働いたものの、労働時間が長かったこともあり、「先々を考えると厳しい」と転職を決意する。
「2社目はイベントの制作会社でした。ディレクターやスタッフ、MC、コンパニオンのキャスティングが主な業務。それまで自分が派遣される側だったので、ギャラの相場や必要なスキル、仕事の流れも理解していました。ここでは即戦力になれたと思います」
2社目では4年働いたものの、体調不良を機に退職。その後、大学時代にアルバイトでナレーターをしていた会社を経て、現在はキャスティング会社の株式会社エイスリーに勤務している。
「エイスリー入社は2020年1月でコロナ感染拡大前。イベントキャスティング事業の拡大のために入社。しかしコロナでイベントが中止になり、他部署に異動になりました。2022年に、エイスリー代表がずっと温めていたタレントのセカンドキャリア・パラレルキャリアを支援する事業を強化して進めることになり、私がこの事業を牽引することになったのです」
◆「タレントキャリアアドバイザー」として裏方に徹する
表に出る立場から裏方へと転身したことをどう思っているのだろうか?
「業務は裏方がメインです。でも、今回こうしてインタビューして頂いたように、何か伝えたいことがある時に“表に出ることができる”のは、自分の強みだと思っています。自分がハブとなって、だれかの役に立てるなら出ようというスタンスです」
そもそもタレントやアスリート、アナウンサーのキャリアは不確定であり、引退後にどういった道を選べばいいのかも難しい。
「表舞台で長く活躍している人もいますが、多くの場合、稼げるのは数年です。『自分が好きでやっているんだからリスクを負って当たり前』と言われることもありますが、たくさんの人を楽しませる仕事だからこそ、安心してチャレンジすることに集中できる場を提供したいと思っています。また、引退した後も、本人が望まない仕事をすることはできるだけ減らしたいです」
別府さんは「タレントキャリアアドバイザー」の肩書きでアイドルなどのタレントやアスリート、アナウンサーのキャリアを支援するとともに、希望があれば再就職先を紹介している。
「基本的には、“現役で活動しながらできる仕事”と“引退してからできる仕事”の2軸で相談に乗ります。タレントの場合、突発的なオーディションのために融通がきく仕事のほうがいいという人や、世間に顔を知られているので、なるべく顔出しがない仕事がいいという人もいます。
先日、あるモデルさんには、エステサロンの受付の仕事を紹介しました。仕事の頑張り次第では、いずれ施術もできるようになります。
まだまだ女性アナウンサーやアイドルには『年齢の壁』が存在していて、30歳前後で将来に悩みます。さらに『今までこの仕事しかしていないので自分に何ができるのかわからない』と話す人も多いんです。カウンセリングしながら、これまで経験してきたことを棚卸して、進むべき道を一緒に探します。そのうえで、『こういうスキルを持っている人がいます』と企業様に人材紹介をしていますね」
◆一般企業で活かせるスキルもある
これまで得たスキルはその世界でしか使えないと思ってしまいがちだが、実は全くの異業種で応用できることもあるという。
「たとえば、表に出ていた人たちは自己プロデュース力が高く、“自分をどう魅力的に見せるか”を商品の広告宣伝に置き換えられますし、多くの人と関わった経験は、企業の社長クラスから若手まで、様々な立場の人とのコミュニケーションにも応用できます。
生放送などを経験していれば本番に強く、営業などにも活かせる可能性がありますね。表舞台で培ったスキルを埋もれさせることなく、今売れている人もそうでない人もその先をハッピーな未来にしたいです」
タレント、アスリート、アナウンサーなどのセカンドキャリア問題が取り沙汰されるようになって久しいが、才能を持った人が不安を抱えることなく挑戦できる未来が訪れるかもしれない。
<取材・文/松本果歩、編集・撮影/藤井厚年>
【松本果歩】
恋愛・就職・食レポ記事を数多く執筆し、社長インタビューから芸能取材までジャンル問わず興味の赴くままに執筆するフリーランスライター。コンビニを愛しすぎるあまり、OLから某コンビニ本部員となり、店長を務めた経験あり。Twitter:@KA_HO_MA
かつてオートレースのアナウンサーとして活動しながら“バズーカップ”のキャッチコピーでグラビアに挑戦し、大きな話題を呼んだ別府彩さん。「踊る!さんま御殿!!」(日本テレビ)など、多くのバラエティ番組に出演したが33歳で芸能界を引退した。
大手事務所を辞めてから10年以上、彼女は現在なにをしているのか?
◆大学卒業後、華やかな「アナウンサー」の夢を諦めきれず…
別府さんが大学生だった頃、90年代の世の中は「女子アナブーム」真っ只中。各キー局のアナウンサーたちは、CDデビューして踊りながら歌うなどしていた時代だった。もともと目立ちたがりやだった別府さんは、そんなキラキラした世界に憧れ、アナウンサーを目指したという。
「まるでタレントのような扱いを受けながら、安定した会社員でもあるところが魅力でした。ひと通りキー局の採用試験は受けたのですが、準備不足だったこともありすべて落ちてしまいました」(別府彩さん、以下同)
それでも憧れを捨てることはできず、就職をせずに大学時代から続けていたナレーターの仕事で食いつなぐことにした。当時は小泉政権による非正規社員の規制緩和により、「フリーターや派遣社員でも未来は明るい」という風潮があった。別府さんは、正社員ではないことへの不安は少なかったと話す。
「あまり深く考えずに『なんとかなる』と思っていましたね。イベントの仕事もたくさんあったので、収入的にも問題はありませんでした。一瞬、広告代理店で契約社員の仕事をしたこともあったのですが、やっぱり自分は“表に出る仕事がしたい”という思いを捨てきれなくて」
◆オートレースの仕事でフリーアナウンサーに
そんな時、知り合いから「オートレースでレポーターをしてくれる女性を探している」と声がかかった。ずっと人前で話す仕事を熱望していた別府さんにとってはまたとないチャンス。すぐに飛びつき、フリーアナウンサーとしての活動が始まった。
「アナウンス技術もまだなかったので下手だったのですが、当時24歳~25歳だったこともあり、関係者の方にもお客様にも大変可愛がって頂きました。オートレースは競技数が多いので、すぐにレギュラーレポーターとしてTVやインタビュー、イベントなどに駆り出されるようになって。
ナレーターの仕事も並行していたので、毎日忙しくお仕事ができていました。オートレースのお客様から『別府さんのあのコメントのおかげで勝てた』と言って頂けることもあって、大きなやりがいを感じていましたね。しかし、自分が思い描いていた『華やかなアナウンサーの仕事』とは少し違っていたので、若干の物足りなさもありました」
◆2ちゃんねるのスレッドがきっかけでグラビアデビュー
そして仕事を続けること6年。大きな転機が訪れる。フリーアナウンサーでありながら「グラビア」デビューをしたのだ。
「2ちゃんねる(現5ちゃんねる)のオートレース掲示板に私のスレッドが立っていて、胸が話題になっていたんですよね。そんな背景もあって、週刊誌の方が『グラビアをやってみたら面白いのでは?』と提案してくれたんです」
メディアで女性アナウンサーの“タレント化”が進むいっぽう、グラビアに登場するのは珍しかった時代。NHKアナウンサー(当時)の古瀬絵理さんが「スイカップ」と取り上げられて注目を集めていたこともあり、別府さんにも「年末号の特集でグラビアデビューしてみませんか?」と声がかかったのだ。
「性的な目で見られることに抵抗がなかったわけではありません。しかし、今までとは違う仕事を頂けるきっかけになるのであれば、チャレンジしてみようと思いました。オートレースは狭い世界ですが、それでも女性レポーター同士の競争があります。アナウンサーであることに加え、もう一つ武器になるものがあれば、という考えもありました」
◆「バズーカップ」で話題になるも、その後は単発の仕事で食いつなぐ日々
2007年、グラビアデビュー。Gカップだったことから編集部に付けられた「バズーカップ」というキャッチコピーで大きな話題となった。
「雑誌発売前の原稿確認で最初に『バズーカップ』のキャッチコピーを見た時は、“親がどう思うかな……”と少し不安になりました。でも編集部の方に『このくらいインパクトがあるほうがいい、編集会議では大盛り上がりでしたよ!』と言われたこともあって、“せっかくここまで来たのだから”と思い返しました。両親には発売前日に伝えましたが、実際のリアクションは『へー、そうなんだ』くらいでしたね。もちろん、動揺はしていたはずですけど」
グラビアが好評だったことを受け、別府さんはさらに活躍の場を広げるべく、雑誌と履歴書を様々な芸能事務所に送った。アピールは功を奏し、ホリプロに所属が決まる。
「所属して3か月ほどで、なんと『踊る!さんま御殿!!』への出演が決まったんです。俳優と合コンをしたエピソードを披露しました。とても盛り上がったのですが、それ以外ではあまり爪痕を残せなかったんです……さんまさんは、出演者に話をふる前に“次いくぞ”と目で合図をするのですが、自信がなくて逸らしてしまって」
ホリプロに所属した2007年には写真集も発売した。しかし、さんま御殿でのチャンスをモノにできなかったことが災いしたのか、仕事はそこまで増えることはなかった。2009年にはすべてのレギュラーが終わってしまい、再び単発の仕事で食いつなぐことに。
「単発の仕事しかない状況で、収入だけでなくメンタルも不安定になりました。エステサロンのDMはがきのシール貼り、青汁のテレアポなどの日雇いアルバイトをしたこともあります。精神的にも金銭的にも追い込まれていたのですが、そんな時に母が『アナウンサー以外の仕事も探してみたらどう?』と言ってくれて。一度アナウンサーの仕事を離れてみようと考えました」
就活を始めた別府さんだが、会社員経験がなかったため、中途採用の求人に片っ端から履歴書を送るも、そのほとんどが不合格だった。
◆初めての会社員経験から徐々に見えてきた「セカンドキャリア」
「50社くらい応募してようやく正社員として採用してもらえたのは、住宅のパンフレット作成やイベント運営をする会社でした。『アナウンサー経験者ならイベントでMCもやってもらえそう』と考えていただけたようです。
本来はコピーライターの募集だったのですが、オートレース時代にはコラムを書いていたこともあり、コピーライターとしての可能性も買ってくれたのだと思います」
この会社では2年ほど働いたものの、労働時間が長かったこともあり、「先々を考えると厳しい」と転職を決意する。
「2社目はイベントの制作会社でした。ディレクターやスタッフ、MC、コンパニオンのキャスティングが主な業務。それまで自分が派遣される側だったので、ギャラの相場や必要なスキル、仕事の流れも理解していました。ここでは即戦力になれたと思います」
2社目では4年働いたものの、体調不良を機に退職。その後、大学時代にアルバイトでナレーターをしていた会社を経て、現在はキャスティング会社の株式会社エイスリーに勤務している。
「エイスリー入社は2020年1月でコロナ感染拡大前。イベントキャスティング事業の拡大のために入社。しかしコロナでイベントが中止になり、他部署に異動になりました。2022年に、エイスリー代表がずっと温めていたタレントのセカンドキャリア・パラレルキャリアを支援する事業を強化して進めることになり、私がこの事業を牽引することになったのです」
◆「タレントキャリアアドバイザー」として裏方に徹する
表に出る立場から裏方へと転身したことをどう思っているのだろうか?
「業務は裏方がメインです。でも、今回こうしてインタビューして頂いたように、何か伝えたいことがある時に“表に出ることができる”のは、自分の強みだと思っています。自分がハブとなって、だれかの役に立てるなら出ようというスタンスです」
そもそもタレントやアスリート、アナウンサーのキャリアは不確定であり、引退後にどういった道を選べばいいのかも難しい。
「表舞台で長く活躍している人もいますが、多くの場合、稼げるのは数年です。『自分が好きでやっているんだからリスクを負って当たり前』と言われることもありますが、たくさんの人を楽しませる仕事だからこそ、安心してチャレンジすることに集中できる場を提供したいと思っています。また、引退した後も、本人が望まない仕事をすることはできるだけ減らしたいです」
別府さんは「タレントキャリアアドバイザー」の肩書きでアイドルなどのタレントやアスリート、アナウンサーのキャリアを支援するとともに、希望があれば再就職先を紹介している。
「基本的には、“現役で活動しながらできる仕事”と“引退してからできる仕事”の2軸で相談に乗ります。タレントの場合、突発的なオーディションのために融通がきく仕事のほうがいいという人や、世間に顔を知られているので、なるべく顔出しがない仕事がいいという人もいます。
先日、あるモデルさんには、エステサロンの受付の仕事を紹介しました。仕事の頑張り次第では、いずれ施術もできるようになります。
まだまだ女性アナウンサーやアイドルには『年齢の壁』が存在していて、30歳前後で将来に悩みます。さらに『今までこの仕事しかしていないので自分に何ができるのかわからない』と話す人も多いんです。カウンセリングしながら、これまで経験してきたことを棚卸して、進むべき道を一緒に探します。そのうえで、『こういうスキルを持っている人がいます』と企業様に人材紹介をしていますね」
◆一般企業で活かせるスキルもある
これまで得たスキルはその世界でしか使えないと思ってしまいがちだが、実は全くの異業種で応用できることもあるという。
「たとえば、表に出ていた人たちは自己プロデュース力が高く、“自分をどう魅力的に見せるか”を商品の広告宣伝に置き換えられますし、多くの人と関わった経験は、企業の社長クラスから若手まで、様々な立場の人とのコミュニケーションにも応用できます。
生放送などを経験していれば本番に強く、営業などにも活かせる可能性がありますね。表舞台で培ったスキルを埋もれさせることなく、今売れている人もそうでない人もその先をハッピーな未来にしたいです」
タレント、アスリート、アナウンサーなどのセカンドキャリア問題が取り沙汰されるようになって久しいが、才能を持った人が不安を抱えることなく挑戦できる未来が訪れるかもしれない。
<取材・文/松本果歩、編集・撮影/藤井厚年>
【松本果歩】
恋愛・就職・食レポ記事を数多く執筆し、社長インタビューから芸能取材までジャンル問わず興味の赴くままに執筆するフリーランスライター。コンビニを愛しすぎるあまり、OLから某コンビニ本部員となり、店長を務めた経験あり。Twitter:@KA_HO_MA
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