捜査対象でありながら事情聴取なく時効に…旧統一教会と“昭和の未解決事件”を結ぶ接点
2023年03月25日 08時51分SPA!

ジャーナリスト・有田芳生氏
旧統一教会に対しては今夏にも解散命令が出される公算が高い。安倍晋三元首相の銃撃事件の裁判も迫るなか、ここにきて教団と「昭和の未解決事件」の関係が国会で取り上げられた。
果たして、教会と36年前に日本を震撼させた事件を結ぶ接点とは何なのか……? 『統一協会問題の闇 国家を蝕んでいたカルトの正体』を上梓したジャーナリスト・有田芳生氏、元朝日新聞阪神支局襲撃事件特別取材班キャップで『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』(岩波書店)の著書もあるジャーナリスト・樋田毅氏らが当時を振り返る。
◆安倍元総理銃撃で昭和の未解決事件が再び動き出す
「朝日新聞阪神支局襲撃の捜査に当たって、統一教会、国際勝共連合について捜査や調査を行ったことはお認めになりますか?」
2月2日、衆院予算委員会では、36年前に起きた「昭和の未解決事件」を巡って、こんな異例の質問が飛んだ。質問の主は共産党の宮本岳志衆院議員。
1987年、日本列島を震撼させた朝日新聞阪神支局襲撃事件をはじめとする一連の赤報隊事件について、統一教会の関与がなかったか、警察行政のトップを務める谷公一国家公安委員長に詰め寄ったのだ。
「すでに公訴時効が成立している一連の事件のことであり、お答えを差し控えさせていただく」
谷国家公安委員長は早口でこう受け流したが、宮本議員は「国民に向けて真摯な態度で答えていない」と憤る。
「そもそも岸田文雄首相は昨年の臨時国会以来、『今後、地方議会も含めて旧統一協会とは一切関係を持たない』とする自民党本部の方針を徹底させると言ってきた。ならば今春に控える統一地方選を前に、国民の最大の関心事である統一教会の問題をすべて包み隠さず説明すべきだ。
実際、朝日の襲撃事件の2年前、教団に対して苛烈な批判キャンペーンをやっていた『朝日ジャーナル』(朝日新聞社・1992年に休刊)の編集長だったジャーナリストの故・筑紫哲也さんには、教団関係者からと思われる脅迫状も送りつけられていたわけですから」
◆36年前に社会を震撼させた「赤報隊事件」とは?
1987年5月3日の憲法記念日、兵庫県西宮市にある朝日新聞阪神支局に散弾銃を持った目出し帽の男が侵入し、当時29歳だった小尻知博記者を射殺。一緒にいた当時42歳の記者も撃たれ重傷を負った。
その後も、朝日新聞東京本社の社屋や名古屋市内にある社員寮にも銃弾が撃ち込まれる事件が発覚。静岡支局の駐車場には爆発物が仕掛けられた。
1988年3月には、中曽根康弘元首相と竹下登首相(当時)にそれぞれ脅迫状が届けられ、同年8月にはリクルートの江副浩正会長宅への銃撃事件も発生。1990年5月には、名古屋市内の愛知韓国人会館が放火される。
阪神支局襲撃事件では、通信社宛てに「日本民族独立義勇軍 別働 赤報隊 一同」と名乗る者から「すべての朝日社員に死刑を言いわたす」などと書かれた犯行声明文が送られ、名古屋寮の事件でも脅迫状に「反日朝日は五十年前にかえれ」といった文言が並んでいた。
このため、事件発生当初から右翼、なかでももっとも勢いのあった新右翼に関係する人物が捜査線上に上がっていたが、結局、犯人逮捕には至らず、すべての事件は’03年に公訴時効を迎えている。
◆朝日新聞と統一教会は激しく対立していた
『朝日ジャーナル』1985年5月17日号によれば、『朝日ジャーナル』(朝日新聞社)の編集長の故・筑紫氏に送りつけられた「脅迫状」には、
<これ以上おれたちの悪口をいうときさまの子供と女房をブチ殺すぞ。おれは韓国製M16(編註・米軍の主力自動小銃)を持っているし、韓国で軍事訓練をうけてきた>
<文鮮明様のためだったら命の一つや二つ捨てたっておしくない奴がおれたちの仲間には百人以上いるんだ>
などと書かれていたという。
赤報隊事件と統一教会の関係については、事件が発生した当初からいくつもの疑惑が取り沙汰されていたのも事実だ。
1987年5月3日の憲法記念日に記者2人が散弾銃で殺傷された事件を含めて、朝日新聞に攻撃があったのは計4回。その後、標的は政治家や経済人などに拡大し、3年4か月の間に計8件の事件が起きている。
◆捜査対象でありながら事情聴取なく時効に
当時、統一教会と、教団の政治活動を担う国際勝共連合は、教団を批判する報道を続ける朝日新聞と激しく対立しており、教団が朝日を攻撃する「動機」に十分なり得ると疑惑の目を向けるジャーナリストも少なくなかった。
1986年から『朝日ジャーナル』が展開した教団の霊感商法追及キャンペーンに参加していたジャーナリストの有田芳生氏もその一人だ。
「一連の赤報隊事件では、8通の犯行声明に『反日』という言葉が19回も使われ、捜査当局の関心は当初、右翼や新右翼に向けられました。一方、『朝日ジャーナル』の霊感商法追及キャンペーンの反響は大きく、新聞やテレビも追随し、国会でも問題視されるようになります。
統一教会はそれまで収益源だった霊感商法から高額献金へのシフトを余儀なくされ、教団の経済の生命線は揺らいでいた。
統一教会や勝共連合が急速に浸透していた右翼や新右翼からも、集金活動を妨害されたことが犯行動機だという声が多く聞かれ、統一教会は重要な捜査対象になっていたが、なぜか教団への事情聴取は一度も行われることなく2003年に時効を迎えています」
◆政治団体、準軍事組織、複数の顔を持つ宗教団体
ジャーナリストの鈴木エイト氏らの共著『自民党という絶望』(宝島社)によれば、実際、当時の兵庫県警捜査一課は捜査に着手し、いくつもの「勝共連合関係資料」を作成している。「政界工作」と題した部分には、捜査で得た統一教会と自民党の関係が、次のように記されていた。
<自民党本部の職員に10人前後の勝共連合のメンバーがいる>
<前回の総選挙(編註・1986年の衆院選)において、国際勝共連合は自民党候補の3分の1を応援した>
安倍晋三元首相銃撃事件を機に、祖父の岸信介元首相から自民党と統一教会の蜜月が始まったことは広く知られるようになったが、教団は党本部にまで浸透していたということだ。
◆韓国から輸入された2500丁の散弾銃
政権与党に影響力を行使する統一教会とはいったいどんな組織なのか? その実態は、宗教団体の本分である布教活動とは言い難い不可解な動きから、米国政府も注視する「危険な団体」と捉えられていたという。有田氏が続ける。
「1978年、米下院国際関係委員会国際機構小委員会(フレイザー委員会)の最終報告は、『宗教の顔をしているが、政治団体の顔も持ち、多国籍企業でもあり、準軍事組織でもある』と教団の本質を端的に指摘している。
実は、統一教会は1968年に2500丁もの空気散弾銃を、韓国の教団系銃器メーカーから日本の関連企業に輸入していたのです。さらに、1970年代に入ると1万5000丁の輸入を目論むが、これを日本政府に阻止されると、単発の空気銃1万5700丁を輸入しようと試みる。
実際に輸入されたことは、通産省(現・経産省)が国会答弁で認めています。それだけでなく、統一教会は赤報隊事件当時、国内に信者が経営する教団系銃砲店を25店も持ち、そのほとんどが射撃場を併設していた。現在も、東京や名古屋などで10店が営業を続けています。ただ、こうした教団の実態がメディアで報じられることはなく、日本人の大多数は知るよしもないのです」
◆元朝日新聞記者が見た教団内「特殊部隊」の実像
朝日新聞阪神支局襲撃事件では、重傷を負った記者の証言から銃の扱いに慣れた犯人像が浮かび上がる。
教団内部に「特殊部隊」が存在すると見るジャーナリストもいる。元朝日新聞大阪社会部記者で、襲撃事件では特別取材班のキャップを務め、『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』(岩波書店)の著書もある樋田毅氏は、65歳で朝日を去った今も取材を続ける一人だ。
「私が会ったかつて特殊部隊に属していた元信者は、部隊に入る際に教会員の登録を抹消し、偽名で行動していたといいます。共産主義勢力と戦うために情報収集を行い、敵対する個人・団体にスパイ活動を仕掛ける。なかには、焼き芋屋に扮してリヤカーを引きながら偵察・監視任務を行っていたという者もいました」
◆射撃訓練も受けていた隊員たち
隊員たちの多くは射撃訓練も受けていたが、警察は教団に対して家宅捜索を行うなど強硬な捜査方針は最後までとらなかった。
「警察は事件が起きた当初、『これは右翼の犯行だからすぐに解決します』と自信を見せていました。だが、結局犯人には辿りつけなかった。仮に統一教会が関与していたとしても、末端の“跳ねっ返り”が暴発的に事件を起こしたら、教団も把握できないし、警察の手も届かないと思います」
樋田氏が韓国にある教会本部の元幹部に取材した際、「特殊部隊はあるが、ごく少数の幹部しか実態を把握していない」と話したという……。
【有田芳生氏】
1952年生まれ。ジャーナリスト、前参院議員。’86年、『朝日ジャーナル』(朝日新聞社)で霊感商法追及キャンペーンに参加。以降、『週刊文春』(文藝春秋)などで統一教会問題を取材する。近著に漫画家・小林よしのり氏との共著『統一協会問題の闇 国家を蝕んでいたカルトの正体』(扶桑社)
【樋田毅氏】
1952年生まれ。ジャーナリスト。朝日新聞大阪社会部を経て、地域報道部・社会部次長などを歴任。著書に『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』(岩波書店)など。2022年5月、『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞
取材・文/齊藤武宏 山本和幸 取材/山﨑 元(本誌) 撮影/浅野将司 写真/時事通信社 AFP=時事
果たして、教会と36年前に日本を震撼させた事件を結ぶ接点とは何なのか……? 『統一協会問題の闇 国家を蝕んでいたカルトの正体』を上梓したジャーナリスト・有田芳生氏、元朝日新聞阪神支局襲撃事件特別取材班キャップで『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』(岩波書店)の著書もあるジャーナリスト・樋田毅氏らが当時を振り返る。
◆安倍元総理銃撃で昭和の未解決事件が再び動き出す
「朝日新聞阪神支局襲撃の捜査に当たって、統一教会、国際勝共連合について捜査や調査を行ったことはお認めになりますか?」
2月2日、衆院予算委員会では、36年前に起きた「昭和の未解決事件」を巡って、こんな異例の質問が飛んだ。質問の主は共産党の宮本岳志衆院議員。
1987年、日本列島を震撼させた朝日新聞阪神支局襲撃事件をはじめとする一連の赤報隊事件について、統一教会の関与がなかったか、警察行政のトップを務める谷公一国家公安委員長に詰め寄ったのだ。
「すでに公訴時効が成立している一連の事件のことであり、お答えを差し控えさせていただく」
谷国家公安委員長は早口でこう受け流したが、宮本議員は「国民に向けて真摯な態度で答えていない」と憤る。
「そもそも岸田文雄首相は昨年の臨時国会以来、『今後、地方議会も含めて旧統一協会とは一切関係を持たない』とする自民党本部の方針を徹底させると言ってきた。ならば今春に控える統一地方選を前に、国民の最大の関心事である統一教会の問題をすべて包み隠さず説明すべきだ。
実際、朝日の襲撃事件の2年前、教団に対して苛烈な批判キャンペーンをやっていた『朝日ジャーナル』(朝日新聞社・1992年に休刊)の編集長だったジャーナリストの故・筑紫哲也さんには、教団関係者からと思われる脅迫状も送りつけられていたわけですから」
◆36年前に社会を震撼させた「赤報隊事件」とは?
1987年5月3日の憲法記念日、兵庫県西宮市にある朝日新聞阪神支局に散弾銃を持った目出し帽の男が侵入し、当時29歳だった小尻知博記者を射殺。一緒にいた当時42歳の記者も撃たれ重傷を負った。
その後も、朝日新聞東京本社の社屋や名古屋市内にある社員寮にも銃弾が撃ち込まれる事件が発覚。静岡支局の駐車場には爆発物が仕掛けられた。
1988年3月には、中曽根康弘元首相と竹下登首相(当時)にそれぞれ脅迫状が届けられ、同年8月にはリクルートの江副浩正会長宅への銃撃事件も発生。1990年5月には、名古屋市内の愛知韓国人会館が放火される。
阪神支局襲撃事件では、通信社宛てに「日本民族独立義勇軍 別働 赤報隊 一同」と名乗る者から「すべての朝日社員に死刑を言いわたす」などと書かれた犯行声明文が送られ、名古屋寮の事件でも脅迫状に「反日朝日は五十年前にかえれ」といった文言が並んでいた。
このため、事件発生当初から右翼、なかでももっとも勢いのあった新右翼に関係する人物が捜査線上に上がっていたが、結局、犯人逮捕には至らず、すべての事件は’03年に公訴時効を迎えている。
◆朝日新聞と統一教会は激しく対立していた
『朝日ジャーナル』1985年5月17日号によれば、『朝日ジャーナル』(朝日新聞社)の編集長の故・筑紫氏に送りつけられた「脅迫状」には、
<これ以上おれたちの悪口をいうときさまの子供と女房をブチ殺すぞ。おれは韓国製M16(編註・米軍の主力自動小銃)を持っているし、韓国で軍事訓練をうけてきた>
<文鮮明様のためだったら命の一つや二つ捨てたっておしくない奴がおれたちの仲間には百人以上いるんだ>
などと書かれていたという。
赤報隊事件と統一教会の関係については、事件が発生した当初からいくつもの疑惑が取り沙汰されていたのも事実だ。
1987年5月3日の憲法記念日に記者2人が散弾銃で殺傷された事件を含めて、朝日新聞に攻撃があったのは計4回。その後、標的は政治家や経済人などに拡大し、3年4か月の間に計8件の事件が起きている。
◆捜査対象でありながら事情聴取なく時効に
当時、統一教会と、教団の政治活動を担う国際勝共連合は、教団を批判する報道を続ける朝日新聞と激しく対立しており、教団が朝日を攻撃する「動機」に十分なり得ると疑惑の目を向けるジャーナリストも少なくなかった。
1986年から『朝日ジャーナル』が展開した教団の霊感商法追及キャンペーンに参加していたジャーナリストの有田芳生氏もその一人だ。
「一連の赤報隊事件では、8通の犯行声明に『反日』という言葉が19回も使われ、捜査当局の関心は当初、右翼や新右翼に向けられました。一方、『朝日ジャーナル』の霊感商法追及キャンペーンの反響は大きく、新聞やテレビも追随し、国会でも問題視されるようになります。
統一教会はそれまで収益源だった霊感商法から高額献金へのシフトを余儀なくされ、教団の経済の生命線は揺らいでいた。
統一教会や勝共連合が急速に浸透していた右翼や新右翼からも、集金活動を妨害されたことが犯行動機だという声が多く聞かれ、統一教会は重要な捜査対象になっていたが、なぜか教団への事情聴取は一度も行われることなく2003年に時効を迎えています」
◆政治団体、準軍事組織、複数の顔を持つ宗教団体
ジャーナリストの鈴木エイト氏らの共著『自民党という絶望』(宝島社)によれば、実際、当時の兵庫県警捜査一課は捜査に着手し、いくつもの「勝共連合関係資料」を作成している。「政界工作」と題した部分には、捜査で得た統一教会と自民党の関係が、次のように記されていた。
<自民党本部の職員に10人前後の勝共連合のメンバーがいる>
<前回の総選挙(編註・1986年の衆院選)において、国際勝共連合は自民党候補の3分の1を応援した>
安倍晋三元首相銃撃事件を機に、祖父の岸信介元首相から自民党と統一教会の蜜月が始まったことは広く知られるようになったが、教団は党本部にまで浸透していたということだ。
◆韓国から輸入された2500丁の散弾銃
政権与党に影響力を行使する統一教会とはいったいどんな組織なのか? その実態は、宗教団体の本分である布教活動とは言い難い不可解な動きから、米国政府も注視する「危険な団体」と捉えられていたという。有田氏が続ける。
「1978年、米下院国際関係委員会国際機構小委員会(フレイザー委員会)の最終報告は、『宗教の顔をしているが、政治団体の顔も持ち、多国籍企業でもあり、準軍事組織でもある』と教団の本質を端的に指摘している。
実は、統一教会は1968年に2500丁もの空気散弾銃を、韓国の教団系銃器メーカーから日本の関連企業に輸入していたのです。さらに、1970年代に入ると1万5000丁の輸入を目論むが、これを日本政府に阻止されると、単発の空気銃1万5700丁を輸入しようと試みる。
実際に輸入されたことは、通産省(現・経産省)が国会答弁で認めています。それだけでなく、統一教会は赤報隊事件当時、国内に信者が経営する教団系銃砲店を25店も持ち、そのほとんどが射撃場を併設していた。現在も、東京や名古屋などで10店が営業を続けています。ただ、こうした教団の実態がメディアで報じられることはなく、日本人の大多数は知るよしもないのです」
◆元朝日新聞記者が見た教団内「特殊部隊」の実像
朝日新聞阪神支局襲撃事件では、重傷を負った記者の証言から銃の扱いに慣れた犯人像が浮かび上がる。
教団内部に「特殊部隊」が存在すると見るジャーナリストもいる。元朝日新聞大阪社会部記者で、襲撃事件では特別取材班のキャップを務め、『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』(岩波書店)の著書もある樋田毅氏は、65歳で朝日を去った今も取材を続ける一人だ。
「私が会ったかつて特殊部隊に属していた元信者は、部隊に入る際に教会員の登録を抹消し、偽名で行動していたといいます。共産主義勢力と戦うために情報収集を行い、敵対する個人・団体にスパイ活動を仕掛ける。なかには、焼き芋屋に扮してリヤカーを引きながら偵察・監視任務を行っていたという者もいました」
◆射撃訓練も受けていた隊員たち
隊員たちの多くは射撃訓練も受けていたが、警察は教団に対して家宅捜索を行うなど強硬な捜査方針は最後までとらなかった。
「警察は事件が起きた当初、『これは右翼の犯行だからすぐに解決します』と自信を見せていました。だが、結局犯人には辿りつけなかった。仮に統一教会が関与していたとしても、末端の“跳ねっ返り”が暴発的に事件を起こしたら、教団も把握できないし、警察の手も届かないと思います」
樋田氏が韓国にある教会本部の元幹部に取材した際、「特殊部隊はあるが、ごく少数の幹部しか実態を把握していない」と話したという……。
【有田芳生氏】
1952年生まれ。ジャーナリスト、前参院議員。’86年、『朝日ジャーナル』(朝日新聞社)で霊感商法追及キャンペーンに参加。以降、『週刊文春』(文藝春秋)などで統一教会問題を取材する。近著に漫画家・小林よしのり氏との共著『統一協会問題の闇 国家を蝕んでいたカルトの正体』(扶桑社)
【樋田毅氏】
1952年生まれ。ジャーナリスト。朝日新聞大阪社会部を経て、地域報道部・社会部次長などを歴任。著書に『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』(岩波書店)など。2022年5月、『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞
取材・文/齊藤武宏 山本和幸 取材/山﨑 元(本誌) 撮影/浅野将司 写真/時事通信社 AFP=時事
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