現役“黒ギャル”モデルの32歳女性が明かす苦労の道のり「収入が安定するまで10年かかった」

現役“黒ギャル”モデルの32歳女性が明かす苦労の道のり「収入が安定するまで10年かかった」

10年以上にわたって黒ギャルとして活動する藤木そらさん(撮影/藤井厚年)

平成の時代に絶世を極めたギャル文化。その元祖と言えるのが、日焼けした小麦肌に派手髪、派手メイクが特徴の「黒ギャル」である。
 渋谷のセンター街を中心に“ギャルサー”や“パラパラ”など、独自の若者カルチャーを創り上げた。まさに王道にして正統派。黒ギャルは、ギャル文化を語る上で外せない存在なのだ。しかし黒ギャルは今、都心の街中ではほとんど見かけなくなった。相次ぐギャル雑誌の休刊、ギャルの多様化、清楚系や韓流ブームの台頭……。さまざまな要素が重なり合い、“絶滅危惧種”とまで言われるように。

 そんななか、10代からギャルに目覚め、現在まで王道の黒肌スタイルを貫くギャルモデルが藤木そらさん(32歳)だ。

 インスタグラムのフォロワー数は16万人を超えており、黒肌美女雑誌『LOALO(ロアロ)』のメインモデルや、ファッションブランド「BLACKQUEEN(ブラッククイーン)」のプロデュースなど、マルチに活躍している。

 黒肌にこだわり続ける理由や、生計を立てるために苦労したこと、ギャルマインドを貫く信念について本人へ聞いた。

◆幼少期は“野球少女”、自然と肌が黒くなって「安室ちゃんみたい!」

 まずは彼女にとって「黒肌」の原点はなんだったのか。京都府で生まれ、海の綺麗な田舎で育った藤木さんは学生時代、野球やソフトボールに打ち込んでいたという。

「小学校の頃、放課後は毎日外に出て野球をしていました。中学校ではソフトボール部に入り、キャッチャーをやりながら副キャプテンも任されていました。もともと地黒だったこともありますが、屋外にいることが多かったので、自然と肌が黒くなっていて。周囲の友人からは『安室ちゃんみたい!』と言われたりしていましたね」

 そして高校進学後、第四次パラパラブームの影響から、放課後はパラパラを踊りに出かけるようになっていった。

「高校の校則が厳しかったので、ギャルメイクや金髪にするのは夏休みだけでした。親は、小中学校では真面目だった自分が突然ギャルに目覚め、パラパラを踊るようになった姿を見て、反対していましたね。私はそれを押し切ってギャルを楽しんでいたのを覚えています」

◆遊び感覚で始めたギャル雑誌のストリートスナップ

 高校を卒業し、美容専門学校に入った藤木さんは、ギャル雑誌のストリートスナップに参加するようになる。

 この頃は雑誌の「読者モデル」全盛期。兵庫の須磨海岸や大阪の道頓堀などでスナップ撮影の告知があると、“読モになりたい”という多くのギャルが集結する時代だった。

 藤木さんもストリートスナップに出向き、渋谷系ファッション雑誌「men’s egg(メンズエッグ)」や「MEN’S KNUCKLE(メンズナックル)」などのギャル系企画で、スナップを撮ってもらう機会が増えていったのだ。

 最初の頃は「雑誌に載れてラッキー」という遊び感覚で始めたストリートスナップも、専門学校の在学中に出演したファッションショー「GOSSIP KANSAI」の第一回グランプリを受賞したのがきっかけで、「ギャルモデルとして頑張れるかも」と思うようになった。

◆雑誌のオーディション突破を目指して上京するも落選

 その後、専門学校を出て歯科助手の仕事に1年ほど就いたが、肌に合わないと感じ、再びギャルモデルを目指すようになった藤木さん。とある雑誌のオーディションが東京で開催されるのを知って、グランプリを取るために上京を決意した。

 だが、肝心のオーディションに落選してしまい、「何も当てがなくなってしまった」と藤木さんは語る。

「初めは『この先、どうしよう』と思っていましたが、気持ちを切り替えて前に進んでいこうと吹っ切れました。そこからはクルーズブログ(※2022年5月末にサービス終了)でのブログ投稿や雑誌の撮影、バラエティ番組の出演まで、大小問わずにいろんな仕事を受けていました。おそらく、その頃発売されていたギャル雑誌のほとんどにモデルとして出ていたと思います。とにかく来た話は断らずに、『やれることは全部やろう』というマインドで頑張っていました」

◆ブロガーやモデル活動での苦労「収入が安定するまで10年かかった」

 なかでも当時、日本最大級のブログサイトとして影響力を誇ったクルーズブログは、広告収入で稼ぐ“ギャルブロガー”を多く輩出しており、藤木さんも収入源を得るためにブログを書き溜めていったそうだ。

「クローズブログは1日3記事くらい書いていましたが、一日がかりで取り組まなければならず、すごく大変でした。来るもの拒まず、できることは全てチャレンジする。そのような気持ちで貪欲に仕事へ取り組み、10年くらいモデルやブログを続けて、ようやく安定的に稼げるようになったんです」

 実際、ギャルモデルとしてのチャンスはあれど、成功するのはほんのひと握りの世界。就職や結婚・出産などのライフイベントも含めて、多くの女のコが20代も半ばになればギャルを引退していくのだ。

◆貧乏だった頃は「家に冷蔵庫やベッドがなかった」

 苦労した経験について伺うと、「収入に余裕がなく貧乏だったときは、家に冷蔵庫がなかった」と振り返る。

「上京して最初に住んだのが品川だったんですけど、冷蔵庫やベッドを買う余裕がなくて。ちょうど冬だったのもあり、飲み物はベランダに置いて冷やせばいいかなと思ってましたね(笑)。親からは食料品を仕送りしてもらっていたので、食費は月1万円ほどに抑えられたんですが、生活していくのは大変だったと思います」

 また、ブログを書いていると、心ないコメントや誹謗中傷を受けることもあるだろう。そうした場合に、藤木さんは「“僻みは感謝”という捉え方でポジティブに考えていた」と話す。

「高校時代、自分の派手な風貌を見て、先輩からいじめを受けていた時期があって。その経験があったので、メンタルが強くなり、どんなことがあっても心が折れなくなりましたね。悪口を言われたら、逆に嬉しくなるんですよ」

 不屈の精神を持ち、自分の軸をぶらさない。

 強い「信念」と何事も前向きに捉える「姿勢」があったからこそ、独特の“存在感”につながっているのではないだろうか。

◆自分の“好き”を突き通すことが大切

 ギャルマインドで大切にしているのは「自分の“好き”を突き通すこと」だと藤木さんは言う。

「やっぱり私って、派手なものが好きなんですよね。例えばカラーを選ぶ際も、白とピンクだったら迷わずピンクを選んだり。ネイルも自然とキラキラしているのが好きですし、髪もエクステで明るくしていたりと、気の向くままに自分を表現することを心がけています。

 また、かっこよく、きりっとした印象に見せるため、日焼けサロンは年に2回ほど通って下地づくりをしていますね。毎年2月、3月くらいから仕込んでいき、4~5月くらいにはくっきりとした黒肌に仕上がるように努めています」

◆将来は“ママギャル”として活動していきたい

 ブログからSNSへとトレンドが移行してからは、発信の場所をインスタグラムに切り替えた藤木さん。そこからは美容などのモニター案件やモデル、ファッションショー、テレビ出演のオファーが来るようになったという。

「SNSの投稿では笑顔を発信し、幸せを届ける“ハッピーエンサー”としての振る舞いを大事にしていて。グラビアのようなエロさよりも、健康的で美しく見えるように意識しています」

 直近ではアパレルブランドのプロデュースや自身のブランド「S.k.y.」の立ち上げ、黒肌美女雑誌のモデルなど、多岐にわたる活動をしているなか、これからの展望はどのように描いているのか。

「いつかは“ママギャル”として、子育てに関する発信なども頑張っていきたい」

 そう語る藤木さんは、今後もギャルマインドを軸に自身のペースで仕事を続けていくそうだ。

 一口に「ギャル」と言っても時代とともにあり方が変化してきたなか、10年以上にわたって藤木さんは一貫して自分のスタイルを追求してきた。だからこそ、歳を重ねるごとに、むしろギャルらしい魅力が増しているのだろう。

<取材・文・撮影(水着)/古田島大介、撮影(私服)/藤井厚年>



【古田島大介】

1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている

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