池袋の“定番デートスポット”が、ラブホと「5つの寺」に囲まれている理由

池袋の“定番デートスポット”が、ラブホと「5つの寺」に囲まれている理由

南池袋公園 ©yu_photo

新宿・渋谷と並ぶ副都心の一つ、「池袋」。近年では再開発も進み、「住みたい街ランキング」の上位に位置するなど大きな変貌を遂げている。しかし一口に池袋について書かれたものは意外と少ないはずだ。この連載では、そんな池袋を多角的な視点から紐解いていきたい。
◆池袋観光の定番スポット「南池袋公園」

池袋東口から歩いて数分のところ、居酒屋がひしめく中に、突然緑豊かな公園が現れる。そこは芝生が敷き詰められ、特徴的な建築が目を引くカフェや、豊かな造形の遊具などが置かれている。平日の昼間は、多くのファミリー連れがここで遊んでいるし、休日はそれに加えてカップルなどがデートを楽しんでいる様子も見られる。オシャレな雰囲気が一面に漂うこの公園は、2016年にリニューアルされた「南池袋公園」だ。

豊島区がそのホームページで「公園がまちを変える」と書くとおり、池袋では現在、駅周辺にある4つの公園のすべてが整備され、街のシンボルマークとなっている。それらの公園はどれも賑わいを見せているが、中でも特にオシャレで、かつ池袋観光の定番スポットとなっているのが、この南池袋公園である。

◆かつてはダンボールハウスが立ち並ぶ場所

オシャレなだけではない。リニューアルでもっとも変貌を遂げたのもまた、南池袋公園だった。かつての南池袋公園は、うっそうとした木々に覆われ、ホームレスのダンボールハウスが立ち並ぶ場所だった。そんな場所に転機が訪れたのは2007年のこと。東京電力から、公園の地下に変電設備を建設したいという打診があって、公園一帯の再開発が行われたのだ。それから約9年。公園自体は6年半も囲いで覆われて、その囲いが取れた時には見違える姿になっていた。

おりしも、南池袋公園がリニューアルした2016年の2年前には、池袋が「消滅可能性都市」にリストアップされ、豊島区が全力をあげて池袋のイメージアップ、街のイメージ向上に取り組み始めた時であった。そうした池袋全体の変革とも歩調を合わせて、南池袋公園は華々しくリニューアルし、都市再開発の代表的な事例としてメディアなどでも多く取り上げられることになった。

◆南池袋公園の周りには「5つの寺」が…

これだけであれば、都市再開発の事例として紹介するだけにすぎないのだけれど、ここで私が描きたいのは「ありのまま」の南池袋公園である。もちろん、南池袋公園自体はおしゃれで、きれいで、明るい雰囲気が漂っている。しかし、私がどうしても気になるのはその周辺のことである。有り体にいえば、南池袋公園の周りは猥雑なのである。

たとえば、そのすぐ裏手には墓地が見えていて、よくよく歩いてみると、この南池袋公園の周りには、多くの寺がひしめいていることがわかる。なんと5つの寺が南池袋公園の周りを取り囲んでおり、中には平安時代に開基され、昭和にこの場所に移された寺院もある。

これらの寺の多くは、寺自体が、とても寺院とは思えない近代的な建物になっていて、すぐに歩いただけではそこが寺であることがわからない。池袋という土地柄か、寺全体がビルになっている寺もあり、なかでもオシャレな「仙行寺」では、「池袋大仏」と呼ばれる大仏も造営され、「宙に浮く大仏」として有名である。

◆なぜ、多くの寺がひしめいているのか

あるサイトでは、このようにオシャレな公園のすぐ横にある寺について、「寺町散策も楽しめる」と書いてあるが、すぐ横に多くの寺がひしめいているその姿は、やはりどこかいびつで異様だともいえる。どうしてここにはこんなにも多くの寺がひしめいているのだろうか。

この5つの寺はすべて、昔は池袋以外の土地にあった。それが、太平洋戦争後の区画整理によって、1950年前後にここに移転された。実は、この一帯はかつて、「根津山」と呼ばれ、東武鉄道などの経営を行っていた根津嘉一郎が所有していた森林があった。

そこが戦争で焼け、文字通りの焼け野原になったために、そこにはさまざまな建物が移設されることになったのである。そもそも、南池袋公園自体も1951年に誕生しており、区画整理の際に生まれた公園である。南池袋公園と、この寺たちは同じ理由からこの場所に生まれたのである。そこには、根津嘉一郎という実業家の名前と、戦争の記憶が浮かんでくる。

根津嘉一郎と池袋の関係については、戦後の闇市の時代も含めて多くのことが語れるのだが、ここでは南池袋公園周辺の話に留めておくことにしよう。いずれにしても、ここが根津嘉一郎の根津山と大きな関係にあったことは確かなのである。

それと、戦争といえば、南池袋公園の一角には「豊島区空襲哀悼の碑」がある。これは、太平洋戦争時の「城北空襲」での犠牲者を追悼するための慰霊碑で、この空襲で亡くなった人たちが、根津山に埋められことからこの場所にある。意外にも南池袋公園は戦争という暗い記憶と関係が深いのである。

◆ラブホテルや居酒屋も立ち並ぶ

南池袋公園の周辺に話を戻そう。この明るい公園の周辺には、そのすぐ横にラブホテルがあるのも気に掛かる。パッと見渡しただけでも二軒のラブホテルがあって、南池袋公園に流れる明るい空気から一転、どこかひっそりとした雰囲気を漂わせている。その周辺には居酒屋も立ち並び、かつて南池袋公園が、人が立ち入りにくい街区であったことをしのばせている。

先ほども述べたように、そもそもこの場所は戦争後に焼け野原になり、そこに闇市や様々な施設が立ち並んでいたのであった。もともとここは猥雑な場所であり、雑多なものが集まるところだったのだ。だから、そこにラブホテルや居酒屋があるのは何もおかしいことではない。むしろ、そこに猥雑なものがあることによって、この南池袋公園周辺の歴史が多層的に積み上がっている場所とさえ思えてくる。

一見すると明るいと思われる南池袋公園。しかし、その横に目を凝らしてみると、実はその街区は実に複雑で、そして池袋がたどってきた歴史の一端がそこに刻まれているのである。

<TEXT/谷頭和希>



【谷頭和希】

ライター・作家。チェーンストアやテーマパークをテーマにした原稿を数多く執筆。一見平板に見える現代の都市空間について、独自の切り口で語る。「東洋経済オンライン」などで執筆中、文芸誌などにも多く寄稿をおこなう。著書に『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社)『ブックオフから考える』(青弓社)

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