帰ってきた「ベイスターズ史上最強の4番打者」。いまも古巣と日本を愛する理由とは

帰ってきた「ベイスターズ史上最強の4番打者」。いまも古巣と日本を愛する理由とは

ツアー参加者と一緒にレフト外野スタンドから応援したボビー・ローズ(手前)

1998年、ベイスターズがリーグ優勝を決めた“聖地”に当時の立役者が帰ってきた。今のファンと拳を振り上げ、声を枯らし、優勝を諦めない’23年のチームを応援した。(情報は週刊SPA!9月19日・9月26日合併号発売時)
◆末娘に日本の素晴らしさを伝えたい ローズが甲子園へ

 ベイスターズ史上最強の4番打者として、1998年のリーグ優勝・日本一に貢献したマシンガン打線の主軸、ボビー・ローズ(56歳)が再び帰ってきた。敵地・甲子園でのタイガース戦に自ら企画した応援ツアーを組み、ベイスターズファンとともに絶叫した。

 きっかけは今年6月。DeNAベイスターズのスペシャルイベントのゲストとして来日したローズのひと言だった。

「日本の素晴らしさを末娘に知ってもらいたいんだ。近いうちに帰ってきたいんだけど、サポートしてくれるか?」

 ローズ家の末っ子、リアンナさんは25歳。ベイスターズが優勝した1998年生まれの彼女は、ローズが引退を決意した’00年はまだ2歳。日本での記憶はない。

◆ローズ家の思い出が詰まった甲子園

 ローズが再来日をするならと、球団OBの高木豊さん、谷繁元信さん、中根仁さんら当時のチームメイトがやっているYouTubeにゲスト出演させてもらったり、リアンナと一緒にベイスターズを応援する機会を設けようと、元通訳である筆者は考えた。

 日程表とローズ家の予定をすり合わせて、チームが優勝争いをしていることを想定。阪神、巨人と試合が組まれている8月末から9月頭の日程で打診をすると、さっそくローズから快諾の返信がきた。

「甲子園にも行けるなんて最高だな! この日程にしよう。甲子園にはローズ家の思い出も詰まっているからな」

 大洋ホエールズが横浜ベイスターズに生まれ変わった1993年に来日したローズは、当初、日本独特の内野が土のグラウンドに戸惑った。

「アメリカはリトルリーグの球場だって内野は天然芝。最初は土の内野に手こずったものだけど、とくに甲子園はまるで土の絨毯を敷いたかのように仕上げるグラウンド整備はマジックだった。二塁の守備位置につくと、グラウンド全体から内野の土と外野の芝生の匂いが入り交じった独特の香りがして、日本人が甲子園をとても大切な存在と思う気持ちが理解できたんだ」

◆優勝を決めた試合でのエラーとオールスターMVP

 1998年10月8日、横浜ベイスターズが38年ぶりにセ・リーグ優勝を決めたのも、ここ甲子園だった。

「あの試合、オレは先頭打者の打球を失策して失点に繋がった。そのままロースコアで試合が進んでいったので、優勝を決めにきた試合なのに、自分の失策で負けるのかよ……と、実は試合中、ずっと不安だったんだ」

 二塁手・ローズの失策から逆転を許し、2-3の劣勢で進んだ試合をひっくり返したのは、8回表に進藤達哉がライト前に放った逆転打だった。

「オレのミスをシン(進藤)が救ってくれた。だから優勝した瞬間は、嬉しさより救われた気持ちが強かった。シン、ありがとう!ってね(苦笑)」

 甲子園での思い出は尽きない。翌1999年のオールスター戦で、ベンチで見守る当時5歳の長男・コーディ君の眼前でホームランを放ち、オールスタータイ記録の6打点を挙げてMVPを獲得したのも、この球場だった。

「二塁打を打ってベンチを見たら、シゲ(谷繁)がコーディを肩車して喜んでくれて、涙が出そうになったんだ」

 現役時代は寡黙だったローズが、聖地・甲子園に沢山の思い出があることを知ったので、思い切って提案してみた。

(どうせならファンと一緒に甲子園に行ってみないか?)

「ナイスアイデアだな!」

◆あの90年代ミリオン歌手もベイスターズファンだった

 そのアイデアは、旅行代理店が「ボビー・ローズと行く甲子園応援ツアー」として実現してくれた。催行人数には足らなかった赤字分は、ローズが補塡することで応援ツアーの実施も決まった。

 共通の友人を通して知り合った仲間からも、嬉しい申し出が届いた。ベイスターズファンの歌手、相川七瀬さんだ。

「私の父に、孫と一緒に甲子園での野球観戦をプレゼントしたいの。私もツアーに参加していいかしら?」

 彼女のような超一流アーティストが自分のツアーに参加してくれるなら、自分も万全の準備で迎えたいと、ローズは日本語の勉強をはじめた。

「オレは日本語を話すために来たのではない。打点を挙げてチームに貢献するために来たんだ」と、頑なに日本語を覚えようとしなかった、あのローズが、だ。

◆美しいジェット風船。そしてレフトスタンドからはサプライズが

 8月29日、甲子園での対タイガース戦に訪れたローズは、横浜、東京を中心に、新潟からも駆けつけたツアー参加者40人とともに、レフトスタンドビジター応援席最上段から観戦を楽しんだ。

 高校野球の夏の甲子園大会のため、長期ロードに出ていたタイガースが久々に甲子園に帰ってきた試合ということも重なり、試合は満員札止め。

 4万人を超えるタイガースファンがぐるりと囲むなか、ローズは、愛娘に甲子園での思い出を細かに説明していた。ローズの表情は、あの頃、グラウンドでは決して見ることのなかった柔らかな父親の表情だった。

 試合が進むと、ローズがソワソワしはじめた。

「黄色の風船は確か後半だったよな。5回? 6回?」

 感染症の影響でジェット風船は禁止されていることを告げると、ローズは膝を叩いて悔しがった。すかさずスマホで画像検索をすると、黄色の風船一色に染まったスタンドが、どれほど美しく見えたのかを隣に座る娘に熱弁していた。

 当時の写真を娘に見せながら思い出を語るローズの姿は、さながらツアーのコンダクターのようにも見えた。

 試合終盤、ベイスターズ応援団がローズの当時のテーマソングを奏でた。ファンの声援がひと際大きくなると、ローズも自分の応援歌を叫んだ。

「カモーン、ローズ、ビクトリー!」

 現役時代はファンと触れ合うことに積極的ではなかったローズが、ファンと一緒にスタンドから拳を振り上げた瞬間、ローズとファンはひとつに重なって見えた。

◆ローズから牧。受け継がれるベイスターズの伝統

 9回表、先頭の代打・楠本泰史がヒットで出塁、不振に苦しむ主将の佐野恵太が同点2ランを放ち、ローズが「気になる選手」と公言している続く牧秀悟が、勝ち越しホームランを放つと、ボルテージは最高潮に達した。ツアーの参加者が興奮しながら、片言の英語で叫んできた。

「ミスターローズ! サンキュー! 今のはマキの23号HRです! サンキュー!」

 横浜から駆けつけたローズの目の前で、ローズが自分を重ねる4番で二塁手の牧が、ローズの現役当時の背番号と同じ「23」号のホームランを放って逆転勝利。相川七瀬さんからは「ボビー! 私の父の夢を叶えてくれてありがとう!」とメッセージが届いた。

 試合は逆転勝ち。ミラクルが幾重にも重なった夜は、1998年の夏のようだった。

撮影/ボビー・ローズJAPAN TOUR事務局 写真/時事通信社



【小島克典】

1973年、神奈川県生まれ。日大芸術学部卒業後の1997年、横浜ベイスターズに入社、通訳・広報を担当。'02年・新庄剛志の通訳としてMLBサンフランシスコ・ジャイアンツ、'03年ニューヨーク・メッツと契約。その後は通訳、ライター、実業家と幅広く活動。WBCは4大会連続通訳を担当。今回のWBCもメディア通訳を担当した。著書に『大谷翔平 二刀流』(扶桑社)ほか

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