またも優勝を逃したベイスターズ。それでも黄金期の到来を信じる理由
2023年10月06日 15時51分SPA!

6月のイベントで集結した1998年の優勝メンバー。(左から)石井琢朗チーフ打撃コーチ、ボビー・ローズ、三浦大輔監督、谷繁元信氏、鈴木尚典打撃コーチ
昨年2位からの雪辱を誓った今季は再び悔しさを味わうシーズンとなった。しかし、来るCS、日本一戴冠そして来季の優勝に向けチームは歩みを止めない。(情報は週刊SPA!10月3日号発売時)
◆優勝を逃した雪辱はCSで
ペナントレース後半戦を圧倒的な強さで勝ち抜いた阪神タイガースが’23年セ・リーグ優勝を決めた。「横浜頂戦」をスローガンに掲げたDeNAベイスターズの夢は来季に持ち越しとなった。残り試合は僅か。チームは次なる目標、CS(クライマックスシリーズ)進出に全てをぶつける――。
牧秀悟とネフタリ・ソトが揃って2本のアーチを放ち、東克樹が最多勝を確定づける14勝目を挙げた9月14日の中日ドラゴンズ戦。ベイスターズのヒーローインタビューが行われていたちょうどその時、タイガースの18年ぶりのリーグ優勝が決まった。
WBCイヤーと重なった今年。春季キャンプ訪問で見たベイスターズの選手たちは、昨年2位の悔しさを今年こそは晴らしてくれそうな躍動感に満ちていた。25年ぶりのリーグ優勝、日本一に期待を膨らませ、ベイスターズを追い続けた今シーズンは、その瞬間にひとつの区切りを迎えた。
◆“連覇していれば球団史は変わっていた”谷繁とローズの後悔
タイガースの優勝マジックが1ケタとなった頃、1998年のベイスターズ優勝の立役者、正捕手の谷繁元信と主砲のボビー・ローズがこんな話を聞かせてくれた。
「オレは横浜と中日で、リーグ優勝5回(横浜1、中日4)と日本一を2回(横浜、中日各1)経験できたけど、どの優勝が嬉しかったかと聞かれたら、ぶっちぎりで1998年のベイスターズの優勝なんだ。それも(西武ライオンズを4勝2敗で下した)日本シリーズじゃなくて、10月8日の甲子園(リーグ優勝)の試合。現役時代は負けて泣いた試合はいくつもあったけど、勝って泣いたのは後にも先にもあの試合だけなんだよ」
通算3021試合出場の日本プロ野球記録を樹立した百戦錬磨のレジェンドをもってしても、ベイスターズの優勝は、かくも格別なものかと驚かされた。その谷繁が続ける。
「今も時々、思い返すんだよ。1998年に優勝したあと、1999年、’00年と連覇できると思っていた。でも優勝した翌年、開幕からどこか気持ちに緩みがあった。あれだけのメンバーが揃っていながら、一度しか優勝できなかったのは、正直、悔しい……」
谷繁の言葉を受けて、ボビー・ローズも言葉を重ねた。
「1999年はシーズン中に自分が『今シーズン限りで引退する』と発言してしまったことが、チームの規律を乱し、結束力を弱めてしまった。あれから25年も優勝から遠ざかってしまった理由のひとつは、あの時の自分の発言にあるかもしれない。当時のベイスターズは連覇して然るべき選手が揃っていた。2連覇、3連覇していれば、ベイスターズの球団史は大きく変わっていただろうにね……」
◆痛すぎたタイガースとの開幕戦3連敗
’23年3月31日、DeNAベイスターズの戦いは京セラドームでのタイガース3連戦から始まった。
タイガースの開幕投手、青柳晃洋との相性の悪さから主力の宮﨑敏郎を外して臨んだ開幕戦を3対6で落とすと、第2、3戦も惜敗し、3連敗スタート。3連戦を勝ち越していたら、せめてひとつ勝っていれば、今季のペナントレースは違った展開になっていたはずだ。タイガースが優勝を決めたその日、三浦大輔監督がその相手をこう評した。
「ウチは直接対決でやられました(今季11勝13敗)。守備もそうですが、とくに相手の1、2番にやられましたね」
今季のベイスターズは、主軸の4番・牧、その前後を打つ宮﨑の2人が安定したパフォーマンスを見せる一方で、彼らの前を打つ1、2番のオーダーに苦しんだ。開幕からしばらくは、昨年の最多安打・佐野恵太を1番に据える攻撃的な打線に活路を見いだそうとした。5月には10年目の関根大気が覚醒。その関根が斬り込み隊長として定着した交流戦では優勝、一時はタイガースを抜いて単独首位に躍り出たのだが……。
◆ソフト、ハードの両面で進化しつづけるベイスターズ
残念ながら2023年のシーズン優勝は逃したものの、チームもフロントも一丸となり、すでに来季に向かって歩みを続けている。
球団史上最速で本拠地の観客動員200万人を達成した事業面では、さらなる向上を目指し、今年も球団幹部がアメリカのボールパーク視察に出かけた。来年以降も横浜スタジアムは、ファンの笑顔が溢れる空間であり続けることだろう。
スタジアム内に新設された「リカバリールーム」には、MLBのオフィシャル・パートナーであるハイパーアイス社の高性能リカバリー・コンディショニング機器が、日本球界で初めて導入された。その裏には1998年をともに戦ったパット・マホームズが尽力した。同社はマホームズ家が株主のハイテク企業だ。
1998年V戦士のひとり、チーム統括本部長補佐兼スカウト部長の進藤達哉は、今年もペナントレースが山場に差しかかる頃に渡米し、来季以降の外国人選手のスカウティング活動に余念がなかった。ターゲットの選手がマイナーからメジャーに昇格すると、急遽、予定を変更して国内線を乗り継ぎ、広大なアメリカ大陸で孤軍奮闘を続けている。
◆牧、山本祐大 1998年生まれの選手が牽引する未来の王朝期
1998年以来のリーグ優勝・日本一を目指した横浜DeNAベイスターズの「頂戦」は、リーグの頂には届かなかった。しかし残り試合の結果次第では、タイガースに次ぐ2位の可能性も残っており、地元横浜でのクライマックスシリーズ開催にも希望を残している(9月20日現在)。
6月から始まった本連載を通じて、監督、コーチ、選手、スタッフ、ファンの声をたくさん聞くことができた。なかでも印象的だったのは「1998年の優勝こそが我が人生のクライマックス」、「わが青春」と信じて疑わないオールドファンが抱く想いだ。これからベイスターズが常勝球団になっても、あの1998年の優勝・日本一の興奮は超えられないだろうし、正直超えてほしくない、という複雑な願望があることも。
しかし、それは近い将来必ずや覆される。1998年の優勝を経験した三浦監督、コーチ陣、スタッフと、1998年の優勝を知らない若き世代が融合して頂を勝ち取ったとき、横浜DeNAベイスターズには、長く続く王朝期がやってくる。伝説の強打者、ボビー・ローズが自身の後継者として牧秀悟に期待を寄せるように、牧、山本祐大、知野直人、入江大生ら1998年生まれの選手たちが、ベイスターズを担っていく未来が。
超満員のスタジアムから、横浜の街に向かって歓喜の渦が幾重にも放たれる日は必ずやってくる。
撮影/小島克典 写真/時事通信社
【小島克典】
1973年、神奈川県生まれ。日大芸術学部卒業後の1997年、横浜ベイスターズに入社、通訳・広報を担当。'02年・新庄剛志の通訳としてMLBサンフランシスコ・ジャイアンツ、'03年ニューヨーク・メッツと契約。その後は通訳、ライター、実業家と幅広く活動。WBCは4大会連続通訳を担当。今回のWBCもメディア通訳を担当した。著書に『大谷翔平 二刀流』(扶桑社)ほか
◆優勝を逃した雪辱はCSで
ペナントレース後半戦を圧倒的な強さで勝ち抜いた阪神タイガースが’23年セ・リーグ優勝を決めた。「横浜頂戦」をスローガンに掲げたDeNAベイスターズの夢は来季に持ち越しとなった。残り試合は僅か。チームは次なる目標、CS(クライマックスシリーズ)進出に全てをぶつける――。
牧秀悟とネフタリ・ソトが揃って2本のアーチを放ち、東克樹が最多勝を確定づける14勝目を挙げた9月14日の中日ドラゴンズ戦。ベイスターズのヒーローインタビューが行われていたちょうどその時、タイガースの18年ぶりのリーグ優勝が決まった。
WBCイヤーと重なった今年。春季キャンプ訪問で見たベイスターズの選手たちは、昨年2位の悔しさを今年こそは晴らしてくれそうな躍動感に満ちていた。25年ぶりのリーグ優勝、日本一に期待を膨らませ、ベイスターズを追い続けた今シーズンは、その瞬間にひとつの区切りを迎えた。
◆“連覇していれば球団史は変わっていた”谷繁とローズの後悔
タイガースの優勝マジックが1ケタとなった頃、1998年のベイスターズ優勝の立役者、正捕手の谷繁元信と主砲のボビー・ローズがこんな話を聞かせてくれた。
「オレは横浜と中日で、リーグ優勝5回(横浜1、中日4)と日本一を2回(横浜、中日各1)経験できたけど、どの優勝が嬉しかったかと聞かれたら、ぶっちぎりで1998年のベイスターズの優勝なんだ。それも(西武ライオンズを4勝2敗で下した)日本シリーズじゃなくて、10月8日の甲子園(リーグ優勝)の試合。現役時代は負けて泣いた試合はいくつもあったけど、勝って泣いたのは後にも先にもあの試合だけなんだよ」
通算3021試合出場の日本プロ野球記録を樹立した百戦錬磨のレジェンドをもってしても、ベイスターズの優勝は、かくも格別なものかと驚かされた。その谷繁が続ける。
「今も時々、思い返すんだよ。1998年に優勝したあと、1999年、’00年と連覇できると思っていた。でも優勝した翌年、開幕からどこか気持ちに緩みがあった。あれだけのメンバーが揃っていながら、一度しか優勝できなかったのは、正直、悔しい……」
谷繁の言葉を受けて、ボビー・ローズも言葉を重ねた。
「1999年はシーズン中に自分が『今シーズン限りで引退する』と発言してしまったことが、チームの規律を乱し、結束力を弱めてしまった。あれから25年も優勝から遠ざかってしまった理由のひとつは、あの時の自分の発言にあるかもしれない。当時のベイスターズは連覇して然るべき選手が揃っていた。2連覇、3連覇していれば、ベイスターズの球団史は大きく変わっていただろうにね……」
◆痛すぎたタイガースとの開幕戦3連敗
’23年3月31日、DeNAベイスターズの戦いは京セラドームでのタイガース3連戦から始まった。
タイガースの開幕投手、青柳晃洋との相性の悪さから主力の宮﨑敏郎を外して臨んだ開幕戦を3対6で落とすと、第2、3戦も惜敗し、3連敗スタート。3連戦を勝ち越していたら、せめてひとつ勝っていれば、今季のペナントレースは違った展開になっていたはずだ。タイガースが優勝を決めたその日、三浦大輔監督がその相手をこう評した。
「ウチは直接対決でやられました(今季11勝13敗)。守備もそうですが、とくに相手の1、2番にやられましたね」
今季のベイスターズは、主軸の4番・牧、その前後を打つ宮﨑の2人が安定したパフォーマンスを見せる一方で、彼らの前を打つ1、2番のオーダーに苦しんだ。開幕からしばらくは、昨年の最多安打・佐野恵太を1番に据える攻撃的な打線に活路を見いだそうとした。5月には10年目の関根大気が覚醒。その関根が斬り込み隊長として定着した交流戦では優勝、一時はタイガースを抜いて単独首位に躍り出たのだが……。
◆ソフト、ハードの両面で進化しつづけるベイスターズ
残念ながら2023年のシーズン優勝は逃したものの、チームもフロントも一丸となり、すでに来季に向かって歩みを続けている。
球団史上最速で本拠地の観客動員200万人を達成した事業面では、さらなる向上を目指し、今年も球団幹部がアメリカのボールパーク視察に出かけた。来年以降も横浜スタジアムは、ファンの笑顔が溢れる空間であり続けることだろう。
スタジアム内に新設された「リカバリールーム」には、MLBのオフィシャル・パートナーであるハイパーアイス社の高性能リカバリー・コンディショニング機器が、日本球界で初めて導入された。その裏には1998年をともに戦ったパット・マホームズが尽力した。同社はマホームズ家が株主のハイテク企業だ。
1998年V戦士のひとり、チーム統括本部長補佐兼スカウト部長の進藤達哉は、今年もペナントレースが山場に差しかかる頃に渡米し、来季以降の外国人選手のスカウティング活動に余念がなかった。ターゲットの選手がマイナーからメジャーに昇格すると、急遽、予定を変更して国内線を乗り継ぎ、広大なアメリカ大陸で孤軍奮闘を続けている。
◆牧、山本祐大 1998年生まれの選手が牽引する未来の王朝期
1998年以来のリーグ優勝・日本一を目指した横浜DeNAベイスターズの「頂戦」は、リーグの頂には届かなかった。しかし残り試合の結果次第では、タイガースに次ぐ2位の可能性も残っており、地元横浜でのクライマックスシリーズ開催にも希望を残している(9月20日現在)。
6月から始まった本連載を通じて、監督、コーチ、選手、スタッフ、ファンの声をたくさん聞くことができた。なかでも印象的だったのは「1998年の優勝こそが我が人生のクライマックス」、「わが青春」と信じて疑わないオールドファンが抱く想いだ。これからベイスターズが常勝球団になっても、あの1998年の優勝・日本一の興奮は超えられないだろうし、正直超えてほしくない、という複雑な願望があることも。
しかし、それは近い将来必ずや覆される。1998年の優勝を経験した三浦監督、コーチ陣、スタッフと、1998年の優勝を知らない若き世代が融合して頂を勝ち取ったとき、横浜DeNAベイスターズには、長く続く王朝期がやってくる。伝説の強打者、ボビー・ローズが自身の後継者として牧秀悟に期待を寄せるように、牧、山本祐大、知野直人、入江大生ら1998年生まれの選手たちが、ベイスターズを担っていく未来が。
超満員のスタジアムから、横浜の街に向かって歓喜の渦が幾重にも放たれる日は必ずやってくる。
撮影/小島克典 写真/時事通信社
【小島克典】
1973年、神奈川県生まれ。日大芸術学部卒業後の1997年、横浜ベイスターズに入社、通訳・広報を担当。'02年・新庄剛志の通訳としてMLBサンフランシスコ・ジャイアンツ、'03年ニューヨーク・メッツと契約。その後は通訳、ライター、実業家と幅広く活動。WBCは4大会連続通訳を担当。今回のWBCもメディア通訳を担当した。著書に『大谷翔平 二刀流』(扶桑社)ほか
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