“優勝”を目指していたラグビー日本代表はなぜ勝てなかったのか。背景には2つの「厳しい条件」が

“優勝”を目指していたラグビー日本代表はなぜ勝てなかったのか。背景には2つの「厳しい条件」が

要所での失点を悔やんだ齋藤直人

ラグビー日本代表は2大会連続での決勝トーナメント進出を懸けて、プール最終戦となるアルゼンチン代表との一戦に挑んだが惜敗。さらに強くなるために、そして優勝を実現させるためには、これから何が必要になってくるのだろうか——。
◆「流れをつかみ損ねた」日本代表

 ラグビー日本代表は10月8日にナントのスタッド・ド・ラ・ボージョワールで、ラグビーワールドカップフランス大会のプールD最終戦に挑んだ。

 強い日差し。濃い水色の空。対するアルゼンチン代表のファンのまるでがなっているような歌声のもと、後半16分に日本代表は相手の虚をつくドロップゴール、同25分には速攻からの連係攻撃で加点。終始ミスの多かったアルゼンチン代表に、十分なプレッシャーを与えたかに映った。

 しかし実際には、その2つの得点シーンの直後、それぞれに日本代表はピンチを迎えている。得点した直後の失点を繰り返し、流れをつかみ損ねたのだ。

◆アルゼンチン代表の狡猾なプレーが勝敗を分ける

 ラグビーでは得点が決まると、失点したチームのキックオフでリスタートする。得点されたほうが陣地を取れることが、前に球を投げられないこのスポーツの競争力を高める。キックオフされた球を受け取るほうは、正確な捕球から手早く陣地挽回をしたい。

 ところが日本代表は件の得点後、キックオフしたアルゼンチン代表に後手を踏まされている。

 レメキ ロマノ ラヴァによるドロップゴールの直後のキックオフは、人員の薄い中央付近へ球が飛んできた。

 キャッチに回ったナンバーエイトの姫野和樹が落球し、いきなり自陣22メートル線付近で相手ボールのスクラムになった。しかも、そのスクラムで反則を犯したうえ、サインプレーから左端を破られて失点。2点あったビハインドをさらに広げられて20-29となった。

 日本代表がトライ、コンバージョンゴールを決めた直後の同28分にも、アルゼンチン代表はキックオフで真ん中近くを狙った。

 今度は日本代表が捕球も、その後に蹴り返したボールをアルゼンチン代表に首尾よくカバーされた。そして、連続攻撃から突進、突破を重ねられた末にタックルミスを引き起こして、アルゼンチン代表に27-36と勝ち越しを許した。

◆目標であった“優勝”には手が届かず

 日本代表のスクラムハーフとしてフル出場の齋藤直人は、「点を取った後、すぐに返されてなかなか勢いをつかめなかった」と試合を振り返った。自身は正確なパス、運動量、トライへの嗅覚を披露しながら、要所での失点を悔やんだ。加えて、きっかけとなったキックオフの攻防について、こう続けた。

「基本的にはキャッチして、キックを使う。そこはよかったとは思いますが、(相手が)全部、真ん中に蹴ってくるとは思わなかったです」

 27-39でノーサイド。日本代表はプールDを2勝2敗の3位で終えて2大会連続2度目の決勝トーナメント進出を逃し、目指していた初優勝は叶わなかった。

◆アルゼンチン代表は「はっきりと強かった」

 一方、勝ったアルゼンチン代表は2大会ぶり5度目の8強入りに喜んだ。

 振り返れば、アルゼンチン代表は試合開始時のキックオフでも、比較的に中央寄りのエリアに蹴り込んでいた。

 攻防が流れ出してからは、グラウンド中盤からのハイパントを多用した。日本代表が空中でのボール争奪をやや不得手としていたのを知ってか、球の落下地点に長身選手を走り込ませた。意図的であるかどうかはいざ知らず、日本代表の盲点を突いたのは確かだ。

 さらに、アルゼンチン代表は初戦で黒星と、大会序盤はやや低調気味だったにもかかわらず、日本代表戦では激しいコンタクトを重ねていた。はっきりと強かった。

 日本代表が長らく固定メンバーで戦っていたのに対し、アルゼンチン代表は最終戦まで随時、選手を入れ替えていた。消耗の激しいフォワードの先発8人中、3戦目から連続出場していた選手の数は、日本代表が全員だったのに対してアルゼンチン代表は3人だった。

 生死を分ける一戦では、選ぶプレーの妥当性、選手層でアルゼンチン代表が光っていたと取れる。奮闘も要所で泣いた日本代表にあって、藤井雄一郎ナショナルチームディレクターは「皆、頑張っているんですが、頑張らないといけないときに頑張れなかった」と嘆いていた。

◆日本代表が受け入れた2つの「厳しい条件」

 では、なぜ大事な試合でそのような状態になったのか——。ここから言及するのは、本番までの前提条件である。

 日本大会から体制を継続させた日本代表は、かねて厳しい条件を受け入れていた。

 新型コロナウイルスの感染が広がった2020年は、代表活動が一切できなかった。同年秋に開かれた強豪国同士の大会へは、国内事情を鑑み辞退せざるを得なかった。

 おかげでフランス大会前までにできたテストマッチ(代表戦)の数は、8強入りした日本大会前の31から17に激減した。

 さらに痛かったのは、サンウルブズの活動休止だ。サンウルブズは2016年から国際リーグのスーパーラグビーに参加し、特に2019年までは代表本隊と首脳陣や選手を共有。強化の土台となっていたが、金銭面を表向きの理由に2020年限りでスーパーラグビーを撤退。

◆結果はともかく成果は残した

 理想の環境が失われるなか、今度の日本代表は、海外大会初の8強以上を期待され、かつ頂点を目指していたわけだ。

 いわば、夏期講習と冬期講習しか予備校に行かずに難関校を受験する公立校の生徒に近かったわけだ。模擬試験のような腕試しの機会が限られたため、チャレンジングな若手の抜擢がしづらく選手層を広げづらかった。

 その渦中にあって、計画力に定評のあるジェイミー・ジョセフHCは工夫を重ねた。2022年夏に2つのチームを同時に動かしたり、大会開催年の猛練習でフィジカリティを強化したりした。

 かくして、欧州でプレーする選手の多い南半球のアルゼンチン代表と接戦を演じた。勝負どころで失点するという内容で理想とは程遠い展開ながら、試合終盤までビハインドを1桁に抑えた。結果はともかく成果は残したといえる。

 現場の奮闘は確かとあり、統括する日本ラグビーフットボール協会の理事でもある藤井は「選手の身体、ウェルフェアを鑑み、リーグと話していいスケジュールを組めたら」と、次なる強化策を語った。

 自身は以前から準代表クラスの選手に国際経験を積ませたいと話していて、2024年以降はその実現に本腰を入れるべきだと強調する。

◆“次”に向け、動き始めた日本代表の今後は…

 すでに手は打ち始めている。

 今年、日本協会はニュージーランド協会、オーストラリア協会と連携を深める覚書を締結した。また、国際統括団体のワールドラグビーが世界最上位層の枠組みを変える際に、日本が「ハイパフォーマンス・ユニオン」の一員となったのも今年に入ってからだ。前回大会で8強入りした実績などが買われた地位向上は、今後どう生かされるのか見ものになる。

 選手個々も進歩を誓う。

 26歳でワールドカップ初出場の齋藤は、アルゼンチン代表戦で得意の球出しに苦しんだとしてこう言葉を選んだ。

「この強度のなかでも(強みを生かす技術を)磨いていかないといけない。(そのために必要なことは)そういう状況をつくるとか、もっと厳しい環境で練習するということ」

 体制側が国際舞台を用意するよりも前に、自らが海外へ挑む気概を示しているのだろうか。本人は「具体的にはわからないですが」としながら、「チャンスがあれば」と頷いた。

 このほど4大会連続でワールドカップ出場を果たした37歳の堀江翔太は、2011年の初出場時に未勝利で終わったことからニュージーランドの地域代表戦へ挑戦。2013年にはオーストラリアのレベルズと契約し、スーパーラグビーデビューを果たしている。そのため「経験論でしかない」としながら、若者の背中を押す。

「海外へ行くのがすべてじゃないですけど、海外に行って日本ラグビーがまだまだやなと思えることがあれば、いいと思います」

 ガバナンス側も、選手も、自信をつかみながらも、上には上がいると再認識できた。それがフランス大会における最大の収穫だ。

<TEXT/向風見也>



【向風見也】

1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年にラグビーライターとなり「ラグビーマガジン」「ラグビーリパブリック」「FRIDAY DIGITAL」「REAL SPORTS」「THE DIGEST」「Yahoo! ニュース」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。ワールドカップ期間中は現地情報をオンラインで届ける「ラグビー反省会特別編」を実施。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー――闘う狼たちの記録』(双葉社)。共著に『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(双葉社)など

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