許永中から司馬遼太郎、山根明も魅了された? 「殺しの柳川」から見る日韓の歪み

許永中から司馬遼太郎、山根明も魅了された? 「殺しの柳川」から見る日韓の歪み

柳川組初代組長、柳川次郎(写真の一番左)

反日運動が盛り上がる一方で、韓国パッシングを決め込む日本。今や日韓関係は修復不可能と思えるほどこじれている。きっかけは徴用工訴訟問題を巡って、韓国の裁判所が日本企業の資産差し押さえに動いたこと。その対抗措置として、日本政府が7月に韓国に対する輸出管理を強化したことで反日感情が高まった格好だ。

 そんな最中に、日韓関係を“裏テーマ”にした異書が発刊された。『殺しの柳川〜日韓戦後秘史〜』(小学館)。大阪の在日社会で身を立て、山口組きっての武闘派としてその名を轟かせた柳川組初代組長、柳川次郎の半生を追った一冊だ。

 「殺しの」という、あまりにも物騒な通り名が知れ渡ったきっかけは、1958年2月に起きた大阪・鬼頭組との西成抗争だった。

〈西成を縄張りとし、飛田新地での管理売春をシノギとする鬼頭組といえば、当時は100人を超える組員を抱える大組織である。「泣く子も黙る鬼頭組」と恐れられた。その鬼頭組の縄張りに手を突っ込んだところ、かえって、仲間のひとりを拉致されてしまう。
 それでもひるむことなく、柳川はわずか八人で日本刀を手に鬼頭組の事務所に殴り込みをかけた。〉(本書より)

 このとき柳川が仲間にかけた「どうせ失うのは命だけ。みんなで一緒に死のうや」は、ノンフィクション作家の山平茂樹氏の著書や柳川をモデルにした映画でも使われたあまりにも有名なセリフだ。

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