司馬遼太郎は「保守」ではない、共産主義者ではなかっただけ/倉山満

司馬遼太郎は「保守」ではない、共産主義者ではなかっただけ/倉山満

『司馬遼太郎と昭和』 (週刊朝日ムック、画像:amazonより)

かつては「保守」陣営を代表する言論人と目されていた、司馬遼太郎。しかし、憲政史家の倉山満氏は「当時、司馬が『保守』だと思われたのは、他の言論人のことごとくが、多かれ少なかれ左翼色を帯びていたからだ」という――。(以下、倉山満著『保守とネトウヨの近現代史』より一部抜粋)

◆「新憲法」が死語になった

 敗戦から二十年、東京オリンピックが終わったころには、「新憲法」が死語になった。日本国憲法が定着したので、もはや「新」とは呼ばれなくなったのだ。昭和四十年代の最初の八年間、総理大臣の地位を独占したのは佐藤栄作だ。佐藤の実兄の岸信介は日本国憲法の改正を生涯の努力目標とし、日米安保条約に基づくアメリカ軍の駐留も暫定的だと考えていた。だが、岸の抱いた自主憲法自主防衛は佐藤内閣で否定され、日本国憲法も在日米軍の駐留も永遠であるかのような前提で政策が採られていく(この点に関しては過去の多くの著作で論じたが、『自民党の正体』PHP研究所、二〇一五年を挙げておく)。

 こうした時代を代表する「保守」陣営の言論人と目されたのが、司馬遼太郎である。NHK大河ドラマの原作に採用された作品だけでも、『竜馬がゆく』『国盗り物語』『花神』『翔ぶが如く』『最後の将軍 徳川慶喜』『功名が辻』と六本を数える。

◆今でも評される「司馬史観」

 さらに、日露戦争を描いた『坂の上の雲』は大河ドラマを上回る規模で製作され、数年かけて放映された。

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