<純烈物語>純烈の原動力は「夢と表裏一体の欲」<第80回>



「毎回、たどり着いた瞬間はもういいだろうと思う。そこが最高だから。でも『純烈ものがたり』もまたやりましょうとなれば、今回頑張ってくれたスタッフの皆さんとまた会えるだろう、そうなったら俺も宣伝頑張ってみよう……そんなことが次々と浮かんできながら最後の撮りをする自分がいたんです。

『マッスル』をやっていた時もマッスル(坂井)が鈴木みのるさんのような大物と闘ったり、蝶野正洋さんに張り飛ばされたりするのを見ながら『ああ、終わっちゃうな……またこれが続けられたらいいのに』と思いながら、リング下から頑張れ!って叫んでいた。だからどの現場も、それの繰り返しなんだろうね」

◆自身が役者の限界を感じたドラマ製作者からのオファー

 コロナ禍でスケジュールが空いたことにより実現できた試みとして、フジテレビ制作による配信番組は大きかった。紅白出場曲の作曲者・幸耕平へそうしたように、酒井は『純烈ものがたり』の全権を番組プロデューサーの関口静夫に託した。それほど心酔する人物だった。

『古畑任三郎』や『さよなら、小津先生』といった一連のフジテレビ制作ドラマを見たことで役者としての自分に限界を感じた酒井は、同じ道を歩いてもそこへたどり着けないと思い立ち、別ルートで山を登るべく純烈を結成する。それらのクレジットに、プロデューサーとしてあったのが「関口静夫」の名前だった。

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