腕が折れても投げ続けた6試合773球…“甲子園のルールを変えた男”の現在地

腕が折れても投げ続けた6試合773球…“甲子園のルールを変えた男”の現在地

悲運の……という枕詞と共に語られることも多い大野倫氏

―[職業 元プロ野球選手]―

◆高野連を動かした1人の男の悲運

 高校野球界では、投手の障害防止と未来への成長育成のために一昨年から「球数制限」が議論され続けている。昔なら当たり前だったこと、昔なら考えられなかったことも、スポーツの近代化、そして選手ファーストの観点から様々なルール変更がなされるのは当然の流れだろう。

 今から27年前も大改革がなされた。1994年春の甲子園から、高校野球連盟は甲子園大会前において登板可能の投手全員に対して肩および肘関節に関する検診が義務付けられ、医師の許可なしで出場することができないと規定した。当時のマスコミは高野連側が投手として優れた資質を持った選手を大会でオーバーユースさせないために出場禁止規約を設定したと英断を讃えるかのように報道した。だが実際の状況は異なっていた。

 80年前後から大会の過密スケジュールによる選手の酷使が度々問題視されていたのだが、高野連は見て見ぬふりを貫いていたのである。そして、91年に湧き起こった世論によりやっと重い腰を上げ、それから3年後に規約を作ったのである。世論を動かし、高野連を動かしたのは、あるひとりの男の存在があったからだ。

 彼は甲子園で右腕を犠牲にし、輝かしい未来を寸断された。そのことがきっかけで、甲子園大会の規制が新たに設けられたのだ。

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