甲子園のエースは引退後、外車の営業マンに「頭を下げることから始めたかった」

甲子園のエースは引退後、外車の営業マンに「頭を下げることから始めたかった」

長嶋茂雄監督(当時)と握手をする巨人時代の大野倫

―[職業 元プロ野球選手]―

 90、91年と沖縄水産2年連続準優勝メンバーだった大野倫は、91年にはエースとして一回戦から決勝までの6試合、たったひとりで773球を投げ抜いた。骨折をしながらも投げ抜き、その後、投手生命は絶たれた。前編では、大学入学からドラフトで巨人入りまでの大野に迫った。今回はダイエーホークス(当時)へのトレードから引退。そして今の大野倫について迫った。

◆プロ入り6年目にして初の開幕スタメンを勝ち取る

  巨人からトレード通告されたとき、茫然自失では収まらないほどのショックを大野は受けた。当時のプロ野球はトレードに関してネガティブであり、トレードは球団に捨てられた者同士の交換というイメージがまだまだあった。まさに晴天の霹靂だったが、大野は球団のトレード通告を素直に受け入れるしかなかった。

「王監督からは巨人ということもあって、よく声をかけてもらいました。何球団も渡り歩いたコーチの森脇(浩司、現ロッテ一軍野手総合兼内野守備コーチ)さんからも事あるごとに『トレードで来た選手は最初慣れるまで大変だろうから、何かあったらすぐ言いに来いよ』と言っていただき、非常に有難かったことを覚えています。
 
 多かれ少なかれ、どこの球団でもあると思いますが、外様という壁はあるんだなと感じました。

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