U−12仁志監督が伝える木内イズム。「サインに縛られず考えるクセを」

予想もしないサインが出て、ここでこのサインが出ているということは、監督は何を要求しているのかなって考える。その要求に応えるプレーは1つじゃない。選手はより成功率の高いプレーを選択していい、というのが木内さんの野球でした。

 高校野球って、ほとんどのチームは監督に言われたことをやる、ということが正しくて、考えて意見を持つことは歓迎されないじゃないですか。高校だけじゃなくプロも含めて、野球界全体にそういう風潮があります。でも僕は、それは違うんじゃないかと、ずっと思っていました。高校で木内さんに考える野球を教わったから、そう考えるようになったのかもしれません。それを木内さんがどこまで計算してやっていたのかは、未だにわからないんですけど(苦笑)」

 実際、仁志は自分の判断でプレーした結果、甲子園を沸かせたことがある。

 1987年夏、常総学院は甲子園の決勝でPL学園と対戦した。この年、立浪和義、片岡篤史、野村弘、橋本清らを擁して春のセンバツを制したPL学園は、当時、史上4校目の春夏連覇へ、あと1つというところまで迫っていた。

 一方、常総学院の仁志は1年生ながらショートのレギュラーとして全試合に出場。準々決勝の中京戦ではランニングホームランを放つなど目立った活躍を見せて、決勝では3番を任されていた。

 PL学園は立ち上がりから優位に試合を進め、5−2と3点をリードして迎えた9回裏。

関連記事(外部サイト)