ストイコビッチからジャカとシャキリまで。コソボ紛争をサッカーから理解する

ストイコビッチからジャカとシャキリまで。コソボ紛争をサッカーから理解する

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今年5月、W杯ロシア大会が開幕する前に『VOGUE Wedding』がドラガン・ストイコビッチ(愛称ピクシー)の愛娘アーニャのウエディング・パーティを特集した。アーニャがかつて名古屋にいたころ、『VOGUE JAPAN』のインターンをしていたことから実現した企画である。

名古屋グランパスエイトでは選手だけではなく、監督も務めたストイコビッチ


 誌面ではセレブが集う南仏コート・ダジュールでカップルを祝う宴の様子が展開されている。ドレス姿のアーニャを見ると、父親が現役を引退した2001年、家族揃って名古屋を去る際、小牧空港でインターナショナルスクールの友人たちに最後まで手を振っていたあの小さかった女の子が、と思えて感慨がひとしおであった。またその新婦と腕を組んでヴァージンロードを歩くストイコビッチの少してらいを含んだ晴れやかな表情は、「家族はサッカーよりも大切」と言い切った男の生き方を醸し出していた。
 思えばアーセン・ベンゲル(元グランパス監督)にアーセナルに誘われても、断って7年も日本でプレーを続けたのは、日本での生活を気に入った家族のためでもあった。
 Jリーグの黎明期を支えた外国人選手の中では人気、実力ともにベストであろうストイコビッチも今では信じてもらえないかもしれないが、24年前、名古屋グランパスエイトに加入し、来日した当初は徹底的にヒール(悪者)にされていた。

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