「一番おとなしい指揮官」北海・平川監督が手にした準優勝の重み

 夏の甲子園で準優勝を果たした北海の平川敦監督は、二言目には「今年の選手はおとなしいので......」と語った。だが、そう話す監督自身が、一番おとなしい人物だったかもしれない。

 快進撃にも威勢のいい言葉は一切聞かれず、じっくり考え、淡々と言葉を紡ぐ。

「なぜ勝てたのかは、正直、わからない。これから考えます」

「我慢」「辛抱」が口癖だった。

 88年ぶりに夏の甲子園ベスト4に進出したときも、さんざん考えたあげく、こう言った。

「我慢した結果でしょうね。我慢しかないと思ってきたので......」

 平川監督は北海OBで、北海学園大時代に母校のコーチを務めた。大学卒業後、3年間、道内の百貨店に勤め、98年春に26歳の若さで名門・北海の監督を継いだ。そして翌99年夏に幸先よく甲子園に導いた。

「あのときは自分の力ではない。前監督の大西(昌美)先生が指導した選手たちが残っていたから行けたんです。自分自身、プレーヤーとしては高校までしかやっていませんし、ド素人のようなものでしたから。大西先生の財産がなくなると、どうしていいかわからなかった。選手との人間関係も、技術的な指導法も、毎日が、壁、壁、壁でしたね」

 00年代に入ると、道内では駒大苫小牧が台頭。04年から06年まで3年連続で夏の甲子園決勝の舞台に立ち、「優勝、優勝、準優勝」という偉業を打ち立てた。その間、北海は駒大苫小牧にまったく勝てなくなり、9年間、甲子園から遠ざかった。

この記事の続きを読む

1