1964年の日本代表選手は「パラ出場の自信で顔つきも変わった」

 日本の障がい者スポーツの歴史を語るとき、1964年に行なわれた東京パラリンピックは欠かせない。当時の日本人が抱いていた"障がい者"のイメージを覆す外国人選手の活躍や、仕事をして結婚もしているという話は、出場していた日本人選手やその家族にとって衝撃的だった。

 そういった影響を受け、障がい者スポーツを日本に広め、東京パラでは団長も務めた中村裕(ゆたか)医師も、翌年に、「保護より働く機会を」を目標に掲げ、障がい者の人々に働く場所を提供する『太陽の家』を大分・別府に設立した。

 当時、脊髄を損傷すれば寝たきりになるのは仕方のないことと思われていた時代に、中村医師のもとで脊髄損傷の治療やリハビリを受けていた須崎勝己さん(74歳)は、22歳のときに東京パラリンピックに出場した。そこで受けた数々の刺激を大分に持ち帰り、その経験を糧にして「しっかり働こう」と心に決めたという。
※インタビュアー:伊藤数子氏(NPO法人STAND代表)

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