傷だらけのドラフト1位が、人気球団の重圧から解放されて思うこと

<1999年ドラフト 阪神1位 的場寛一>

 金本知憲新監督のもと「超変革」を掲げた2016年の阪神タイガース。指揮官が変わったときのドラフト1位は特に注目されるが、1999年、名門再建を託された野村克也監督率いる阪神に1位指名(逆指名)されたのが、走攻守そろった九州共立大学のショート・的場寛一だった。

 しかし、野村ID野球の中核を担うはずが、人気球団とドラ1の重圧と故障に苦しみ、プロ生活6年間で放ったヒットはわずか7本。力を発揮できずにユニフォームを脱いだドラフト1位のその後......。
■阪神ファン少年の将来の夢は「社会人野球」■

── 的場さんは兵庫県尼崎市生まれ。当然、子どもの頃から阪神ファンですよね?

「テレビでは阪神の試合がいつも流れていたし、まわりも阪神ファンばかり。21年ぶりにリーグ優勝して、初めて日本一になった1985年は小学2年生でした。担任の先生も阪神ファンで、日本シリーズのときには授業をやめて、みんなでテレビを見たのを覚えています。もちろん、私も熱狂的な阪神ファンで、いつも阪神のユニフォームパジャマで寝ていたほど。でも、少し冷めていて、自分はプロ野球選手にはなれないだろうと思っていて、将来の夢は大阪ガスに入って社会人野球でプレーすることでした」

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