90歳の球友が語る根本陸夫「少年時代から見えたフィクサーの才」

■根本陸夫外伝(前編)

 各球団が戦力補強に動くシーズンオフ。劇的な大型トレードが敢行されたときなど、マスコミ上ではひとりの男がよく引き合いに出される。

 男の名は、根本陸夫。かつて広島、クラウンライター、西武、ダイエー(現・ソフトバンク)で監督を務め、各球団で実質GM(ゼネラルマネージャー)としても手腕を発揮。1975年に初優勝した赤ヘル・カープの基礎を固め、80年代から90年代にかけてのライオンズ黄金期を築き、ホークスを今に続く強豪に仕立てた。

 その辣腕ぶりから"トレードの名人"と称され、新人獲得で裏技を駆使したことから"球界の寝業師"とも呼ばれた根本だが、ダイエーの球団社長に就任した1999年の4月、心筋梗塞のため72歳で急逝。それでも、数々の功績を称えられて2001年に野球殿堂入りし、ソフトバンク監督の工藤公康をはじめ教え子たちの多くが指導者になっている。2017年から中日監督を務める森繁和も、「各チームで優勝への足がかりを作った根本さんが理想像」と発言。死後17年が経った今も、"根本遺産"は消え失せていない。

 もっとも、実質GMとしては天下無双だった根本も、監督としては二流、選手としては三流だったといわれる。

 たしかに、指揮官としては一度も優勝がない。1968年、広島の監督就任1年目の3位が最高の順位。それでいて72年途中に休養(同年に退団)するまで5年も務め、クラウンと西武で4年、ダイエーでは2年、合わせて11年と在任期間は長い。その意味では勝つこと以前に選手を育て、チームを作ることを期待された監督だったと言えるだろう。

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