独立リーグの「牛飼い球団」に、 なぜマニー・ラミレスが来ちゃうのか

 アメリカの野球ファンは、かつてよくこう口にしたものだった。「マニーはやっぱりマニーだ」と。「彼に対しては、そうとしか言いようがないんだ」とアメリカに住む私の友人も言う。

 気ままな言動と決して模範的とはいえない素行から、マニー・ラミレスがボストン・レッドソックスをリリースされ、ロサンゼルス・ドジャースに移籍したのは2008年。その翌年の夏、調整のためにプレーしたA級の試合でいきなり場外に叩き込んだ姿に、その友人はまたしてもそのセリフを吐かずにはいられなかった。

「オレにはマイナーでの調整なんていらねぇんだよ」と言わんばかりの一発を放ったマニーは、すぐに本来プレーすべき場であるメジャーへと戻っていった。しかし、その頃すでにマニーは往年の輝きを失っていたのも事実だ。そして2011年、マニーは開幕直後に引退を表明する。39歳だった。

 翌年、彼は再びフィールドに戻ってきたものの、シーズンの半分も続かず、自ら契約破棄を申し出た。しかし、それが"引退"ではなかったことは、そのオフに故国・ドミニカ共和国のウインターリーグに参加していることからも明らかだった。

 その翌年には、台湾プロ野球の義大に入団し、人気低迷に悩む台湾リーグの観客動員を一気に上向かせ、"マニー旋風"を巻き起こしたが、「家族との時間を大切にしたい」と、前期シーズン終了後に帰国し、テキサス・レンジャーズとマイナー契約を交わした。

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