名波、福西らが推測。ジュビロのN-BOXは銀河系レアルに通用したか

◆短期連載・今こそ「ジュビロ磐田のN-BOX」を考える(5)

■「N-BOX」のネーミングに込められた思い

 すべての事象は名付けられることによってその存在が認識できるものだが、『週刊サッカーマガジン』の編集長だった伊東武彦が試みたのも、まさにそういうことだった。

 磐田が2001年にトライした新戦術・新システムは、「N-BOX」との名前を授けられたことで、のちに語り継がれる伝説になったのだ。

「今ある現象を何らかの形で残す際に、言葉というのは非常に有効で、それは極めて雑誌的なことなんですが、コピーというか、ワーディングみたいなものは、こだわっていました。すべてが成功したわけでなく、失敗もいろいろとありましたけどね」

 今は朝日新聞社に所属する伊東が『週刊サッカーマガジン』の編集長を務めていたのは、1998年から2003年までの約5年間である。日本代表が初めてワールドカップに出場したフランス大会から、地元開催で空前のサッカーブームに沸く日韓大会へと続く、日本サッカー界に最も熱のあった時代。まだインターネットの波が本格的に押し寄せる前で、雑誌が人々の興味を引きつけるパワーを持っていた時代だった。

「ネーミングについて何をヒントにしたのかは覚えていないんですけど、名波(浩)のNと、中盤の5人を結ぶとNに見えるということを意識していたのは確かです。ともすれば、言葉遊びになってしまうのだけれど、彼らがやっていることの本質をコンパクトにバシッと表現できるかどうかが勝負。編集部のみんなと話し合って、ああでもない、こうでもないと言いながら、生まれてきた言葉だったと思います」

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