石井弘寿、悲運のWBCマウンドも「自分の決断なので後悔はない」

◆シリーズ「もう一度投げたかった」──石井弘寿(後編)

 MAX155キロの剛速球サウスポーとして、東京ヤクルトスワローズのクローザーを託された石井弘寿。日本代表メンバーとしても、2004年アテネ五輪で銅メダルを獲得し、2006年の記念すべき第1回WBCでは「王ジャパン」に選出された。

 しかし、そのWBCの第1次ラウンド・韓国戦のマウンドで悲劇が起きる。肩に異変が発生した石井は、イ・スンヨプに逆転ツーランを被弾。結局このシーズンはわずか11試合の登板に終わり、オフに手術に踏み切った。それは、一軍復帰を目指しての先の見えない日々の始まりだった──。
■不揃いな小石を丁寧に積み上げる作業

──2006年オフに肩の手術をしたあと、2007年は登板なし。2008年のイースタンリーグ最終戦で777日ぶりの登板を果たしました。当時、どのような思いでリハビリを続けていましたか。

「診断通り、1年半くらいで日常生活には支障がなくなりました。頭を洗うことも、子供を抱き上げることもできるし、普通の人が過ごす分には問題なかったと思います。でも、ピッチャーとしてはその期間、本当にしんどかったですね。ずっと崖っぷちに立たされていると思っていました。それでも、『投げられるようになる』という希望があったので、耐えることができた。

 ただ、ボールを投げられるようになってからも、自分が思うような投球からはほど遠くて......1年半ずっと小さな光を目指して穴を掘り続けたのに、出口まで来たと思ったときには光が消えて、その先にまた長いトンネルが続いていました」

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