【国際プロレス伝】語り草となった「田園コロシアム・こんばんは事件」

【第8回】アニマル浜口が語る「国際プロレスとはなんだ?」

 ラッシャー木村はエースとして国際プロレスを牽引するも、1981年に会社は解散という結末となった。新たな戦いの場となったのは、アントニオ猪木を筆頭に絶大な人気を誇る団体「新日本プロレス」。木村はアニマル浜口たちと「国際軍団」を結成し、アントニオ猪木との抗争を開始する。初めて上がった新日本のリング。そこでラッシャー木村が放った第一声とは――。

◆国際プロレスのエース・ラッシャー木村(3)

 国際プロレス――インターナショナル・レスリング・エンタープライズ株式会社は1981年8月9日、北海道・羅臼(らうす)で最後の大会を行ない、9月30日に倒産した。

 社長だった吉原功(よしはら・いさお)は新日本プロレスとの対抗戦を模索し、10月8日に東京・蔵前国技館で開催される「新日本プロレス対国際プロレス全面対抗戦」のポスターには、国際プロレス所属だった多くの選手のリングネームが掲載されていた。

 だが、新日本参戦を拒否したマイティ井上が冬木弘道(サムソン冬木)、米村天心、菅原伸義(アポロ菅原)を引き連れ、さらに阿修羅・原も少し遅れて全日本プロレスに移籍。鶴見五郎は西ドイツ、マッハ隼人と高杉正彦はメキシコ、そして若松市政はカナダへと渡り、グレート草津と秋吉豊幸は団体崩壊と同時に引退した。最後に残ったのは、ラッシャー木村、寺西勇、そしてアニマル浜口の3人だけだった。

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