追悼・上田利治──。現役わずか3年も、情熱で歩んだ「名将ロード」

 7月1日、上田利治氏(以下、敬称略)が亡くなった。

 私ごとで恐縮だが、小学校に入学した年に阪急ブレーブス(現・オリックスバファローズ)が初めて日本一に輝いた。その後、阪急黄金期とともにプロ野球にのめり込んでいった私にとって、上田は強さの象徴的存在だった。

 そんな上田にじっくり話を聞いたのは、2011年12月。都内の広々とした喫茶店で3時間近く及んだ会話のほとんどは、その2週間前に亡くなった西本幸雄についてだった。

 上田がコーチとして2年間仕え、のちに2人は阪急と近鉄の監督として戦った。西本の誘いにより上田と阪急の接点が生まれたのは、上田が34歳、西本が51歳のときだった。

 あらためて西本の指導について尋ねると、「やっぱり情熱。とにかく野球を愛し、選手を愛していました」と切り出し、こう続けた。

「練習はもちろん厳しいけど、辛抱強く、その選手と一緒になって頑張る。『お前はここまでできるんだから、もう一歩、頑張ってみ』と。要求は高くても、オレのためにここまで......とわかれば選手は頑張る。その空気さえできれば、あとは少々のことがあっても選手はついてくる。西本さんはそういう指導者でした」

 西本についてどんな姿が心に残っているかと尋ねると、「バックネットの前で指導していた姿」と答えた。

「ABCのランクがあるなら、Cランクの選手。つまり、ゲームにはほとんど出ない選手にトスを上げていました。それも毎日選手を替えて、平等に。気持ちを切らさんように、『お前にも期待しとるんやぞ』ってね。自分も熱を持ちながら、相手にも熱を持たせる。厳しくも温かい指導でしたね」

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