水谷隼はもう独りじゃない。Tリーグがもたらしたと進化と不変の志


 水谷は「イ・サンスとは相性がよく、自信もありました。YGサーブとバックへのロングサーブがよく効いたのが勝因」と試合を振り返ったが、際立ったのは、以前は苦手意識を公言していた台上でのプレーである。
 10代の頃、水谷は台から離れ、時にアクロバティックな動きでラリーを展開して多くの卓球ファンを魅了した。天才の称号はそうした彼にしかできないプレーになぞって与えられた要素が大きかったが、やがてそのプレースタイルは壁にぶち当たる。台にくっついた前陣から、速い打球点で勝負をしかけるスタイルが世界の主流になり、水谷の卓球は「美しいが中国選手には勝てない」と指摘されることもあった。
 水谷隼というアスリートが、天才の定義に新たな要素――変化を恐れないこと――を自らの手で書き加えたのは、2012年ロンドン五輪のシングルス4回戦で敗退し、全日本男子シングルスの覇権も失って”どん底”の状態を味わった後である。「このままで終われば卓球に人生を賭けた意味がない」と、一念発起してロシアリーグに挑戦。フィジカルを鍛え直すとともに、邱建新監督とプライベートコーチの契約を結び、チキータなど台上のプレーを徹底的に磨いたのだ。
 ファイナルのイ・サンス戦でも、プレースタイルの変化は明らかだった。
「昔と比べれば、自分のスタイルは変わってきています。

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