渡辺久信が振り返る伝説の日本シリーズ。「西武にエースはいなかった」

まだ30歳の手前にもかかわらず、全盛期は過ぎていたという実感があったのですか?
渡辺 僕は18歳から一軍で投げていましたからね。それまでの”使い減り”は半端じゃなかったですよ。で、1992年が12勝12敗で、これが最後の2ケタ勝利でした。その後は9勝が2年続いて、あまり勝てなくなってしまいましたからね。この頃には自分の思ったような真っ直ぐじゃなくなっていましたね。どうしても、真っ直ぐを痛打されることが多くなっていました。だから、ストレートで押すだけではなくモデルチェンジを図っていた頃でした。でも、真っ直ぐがいかなくなると、他の変化球もなかなかうまくいかなくなるんですけどね。

当時を振り返る渡辺氏 photo by Hasegawa Shoichi

当時の西武投手陣にエースはいなかった
――当時のライオンズには郭泰源投手、工藤公康投手、そして1992年の日本シリーズで大活躍をする石井丈裕投手など、好投手がズラリとそろっていました。当時のライオンズのエースは誰だったのでしょう?
渡辺 うーん、「エース」という括りで考えたことはなかった気がしますね。「エースのプライド」とか、「エースのこだわり」とかよく聞きますけど、僕自身はそれほどエースというものにこだわっていなかったです。成績でいったら、僕なんかがトップになってくるんだろうけど、そもそもオレ自身が思っていないわけですからね。

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