山田久志が語る谷繁元信獲得秘話。「名古屋って、難しいところだよ」


 さらに当時、内野手だった福留孝介を外野にコンバート、それまで外野との併用も多かった荒木雅博と井端弘和を内野に固定して、通称”アライバ”の二遊間を構築する。
 そして言わずと知れた岩瀬仁紀を筆頭とする投手陣の育成。ブルペンを整備して投手王国の礎を築き、以降10年以上、安泰となった中日のセンターラインを固めた人物である。
 前任者、現役時代284勝を上げた山田久志は阪急ブレーブスの大エースで、中日とは縁もゆかりもなかった。それを星野仙一監督が第二次政権時代(1987−1991年)に三顧の礼をもって投手コーチとして迎え入れた。
 山田は星野の前にジャイアンツの長嶋茂雄監督からピッチングコーチのオファーを受けながら、家庭の事情でこれを断っている。
 この誘いは、当時ジャイアンツのオーナーだった渡邉恒雄直々の指名であった。ミスター(長嶋)は言った。
「山ちゃん、これは渡邉会長の直々の指名なんだよ。山田を獲れと」
 それ故か、条件は破格で、年俸の他に世田谷に50坪の土地付きの家を一軒、提供(貸与ではなく、文字どおり贈与)するというものであったが、それでも固辞した。
 ミスタープロ野球、長嶋の誘いを蹴りながら他球団に行くという不義理は山田の本意ではなかったし、ドラゴンズの提示条件はもっと低かったはずである。

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