「それは仙さん、筋が違う」山田久志は島野育夫の阪神移籍に抗議した

ところが、ボストン・レッドソックスが横やりを入れる形で獲得を宣言、ミラーもこれに呼応して来日を拒否する。
 MLBはこの横紙破りを見て、実質的に理は中日にあるという立ち位置から、仲裁をせずにいた。だが、MLB選手会がミラーを支持し、この年に行なわれる予定であった日本での開幕戦のボイコットをチラつかせると、一気に腰がくだけて中日は契約解除に応じてしまう。
 実際、ガバナンスを破ったのはレッドソックスとミラーの方で、それはまるで日米外交の縮図を見ているような押し切られ方であったが、自由契約にするにしても山田には何の相談もなかった。
「最初に決まったと電話をいただいて、構想がもう自分の中であったんです。ミラーとゴメスを組ませて、そこに福留をはめてと考えて打線は形になったなと」
 しかし、それも画餅に帰してしまった。
 一方、2002年6月になると、すでに引退していたキューバのスラッガー、オマール・リナレスの獲得が親会社主導で発表された。
 中日新聞社にキューバとのパイプ確保の意図があったのであろうが、全盛期ならばともかく、すでにリナレスは野球ができる身体ではなかった。それでも「使え」という指令が来た。一塁しかできないということで、これで選手起用の枠がひとつ制限されることになった。
 結局、リナレスは日本シリーズでの活躍はあったものの3年間在籍して通算86本の安打数を記録して日本を去った。

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