土橋勝征が守備固めで危機一髪。秋山幸二の打球に「やっちゃった」

結局、負けて終わっているわけですからね。だから、春のキャンプの時点からすでに、「今度は何としても日本一を獲りに行くぞ!」という雰囲気はすごかったです。
――接戦となった1992年第7戦は、7回裏の「広澤スライディング」が物議をかもしました。その後は走塁に関する意識はチーム内で高まったのでしょうか?
土橋 そうですね。野村さんは、特にあのスライディングについてよく話していました。ミーティングでは、ハッキリと「走塁で負けた」と言っていましたし。覚えているのは、二盗だけではなく三盗の練習をすごくしたし、実際の試合でも三盗をよくしかけた気がします。
――二盗だけではなく、三盗も積極的に仕掛けていったんですね。
土橋 二盗はやっぱりマークがきついんです。でも三盗になると、投手からは(走者が)見づらいし、速い牽制も少ないし、どうしてもマークが緩くなる。そういう理由で三盗の練習をすごくやった記憶があります。
――そして、翌1993年もライオンズとの日本シリーズとなりました。チーム内には「今年こそ!」のムードが芽生えていたのでは?
土橋 1993年はデストラーデがいなくなりましたから、それが大きかったですね。「これならいけんじゃねぇか!」みたいな(笑)。そんなムードでした。秋山さんも、清原(和博)さんも、もちろんインパクトはあるんですけど、やっぱりデストラーデの存在はすごかった。でも、(1993年は)そのデストラーデはいない。このときは、それを強く感じましたね。
(後編に続く)

前へ 1 2 3 4 5 6

関連記事(外部サイト)