現在会社員の「黄金世代」。氏家英行の野望とチームメイトへの思い

高原直泰、稲本潤一らが五輪代表チームの主力になっていくなか、氏家もシドニー五輪は自らの視野に入れていた。


「シドニーに行きたい気持ちはありました。でも、大宮は当時J2だったし、(自分は)スペイン戦で結果を出せなかった、というのもあったので……。

 一度、(五輪代表の指揮官も務めることになったフィリップ・)トルシエ監督が試合を見に来てくれたことがあって、『もっとがんばれば代表に入れるかな』と思ったこともありましたが、現実的には『厳しいな』と自覚していました。ただもう1回、ナイジェリアで味わったような経験をしたいなっていう気持ちはありました」

 氏家は、大宮では主力としてプレーしていたが、ワールドユース以降は結局、五輪を含めて日本代表に招集されることはなかった。2004年まで6年間、大宮でプレーし、J1昇格を決めた同シーズン後、J2のザスパ草津(現ザスパクサツ群馬)に移籍した。

「大宮では本当に成長させてもらいました。いつも応援してくれている”サポーターのために”という思いでプレーができたし、チームの選手たちとは友人や家族のような感じだったので、常に高いモチベーションを保って試合ができていたんです。

 でも、草津に行くと(大宮とは)あまりに違う環境に気持ちが追いつかず、自分の特徴を監督やチームメイトになかなか理解してもらえなかった。

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