ベテラン平野謙が愛のムチ。若き清原和博に「あいさつに来い」


平野 1992年、そして1993年の日本シリーズね。あの頃は、日本シリーズで勝つよりも、パ・リーグで優勝するほうが難しかったような記憶があります。
――西武は、広岡達朗監督時代の1985年、森祇晶監督になってからの1986〜1988年、そして1990年から1994年までの10年間で9回もパ・リーグを制覇しました。平野さんが在籍した1988年から1993年の6年間だけでも、5度のリーグ優勝を経験しているにもかかわらずですか?
平野 記録を見れば確かにそうなんでしょうけど、個人的にはパ・リーグでの戦いがとても厳しかった印象が残っています。もちろん、「普通にやっていれば日本シリーズには進出できる」という印象もあったけど、僕の場合は先のことを考えるよりは、目の前のペナントを終えてから次の日本シリーズのことを考える、という感じでしたね。
――この頃のライオンズは、まさに円熟期に入っていたように思います。当事者として、当時の平野さんはどのように自軍のことを見ていましたか?
平野 すでに”出来上がっている”選手が集まっていたチームだったという気がします。ただ、僕自身のことで言うと、1992年にはすでにプロ15年目の37歳、1993年は16年目の38歳でしたから、出来上がりすぎて”とうが立っている”感じでしたけどね(笑)。

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