ベテラン平野謙が愛のムチ。若き清原和博に「あいさつに来い」

特にこの頃は、自分の感覚と実際のプレーに、少しずつズレが出始めた頃でしたしね。
――「感覚のズレ」とは、具体的にはどのようなことでしょうか? 1992年も1993年も、ゴールデングラブ賞を獲得しています。まだまだ衰えていたようには思えませんが……。
平野 いや、むしろ逆ですね。守備のほうの衰えが顕著でした。打つほうは、もともとあまり好きじゃなかったし、こだわりもなかったので、「打てても、打てなくてもどうでもいいや」って思っていたんです(笑)。感覚の差が出始めたのは、まずは守備からでした。たとえば、「これは補殺できるぞ」と思った送球がアウトにならなかったり、「これは捕れるぞ」という打球が捕れなかったり、そういうことが少しずつ出始めるんだよね。
――当時はまったく、そんなことを感じさせないように見えました。
平野 そうですね。それは公にはしていなかったけど、実は内緒で少しだけグローブを大きくして、「道具でカバーしよう」と考えていました。この頃は、目も肩も脚力も衰えつつあったけど、特にフットワークが悪くなってきたので、それまでよりも少し前に守るようになっていました。
選手それぞれが、自分の役割をきちんと理解していた
――ライオンズの黄金時代には「二番・ライト」という固定した役割を与えられていましたが、どんな意識を持ってこの役割を演じていたのですか?
平野 当時のライオンズは、それぞれの役割が明確でしたよね。

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