ベテラン平野謙が愛のムチ。若き清原和博に「あいさつに来い」

一番・辻(発彦)が塁に出て、二番の僕が送って、秋山(幸二)、清原(和博)、(オレステス・)デストラーデのクリーンアップで得点を稼ぐ。そういう役割がありました。僕が意識していたのは、そんなに難しいことじゃなくて、「一番が出塁すれば、きちんと送ろう」「アウトカウントによってはエンドランもあるぞ」ということ。あるいは、「一番が出塁しなければ、自分が何とか塁に出よう」ぐらいの意識でした。


現在はBCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスで監督を務める平野氏 photo by Hasegawa Shoichi

――チャンスメイクをした上で、強力クリーンアップにつなげようという意識が強かったんですね。
平野 確かにそうですね。三番、四番、五番が強固だったので、一番、二番の役割も明確だったんだと思います。ただ、結果的にあの頃のライオンズは強かったけど、自分が二番でレギュラーだったんだから、決して「黄金時代だった」とは言えないと思いますけどね(笑)。決して謙遜なんかじゃなくて、本当にそう思うんですよ。
――では、仮に平野さんよりも守備率のいいライトや、もっと打率の高い二番打者がいれば、本当の黄金時代だったとお考えですか?
平野 うーん、どうでしょうね。ただ、あの当時の西武は個性的な選手が揃っていたのでお客さんは楽しかったと思うし、そういう意味では黄金時代だったのかもしれないですけど。

関連記事(外部サイト)