ベテラン平野謙が愛のムチ。若き清原和博に「あいさつに来い」

さっきも言ったけど、選手それぞれが自分の役割をきちんとわかっていて、その役割を忠実に演じることで、チームとして機能していたんです。みんな、サインを出されなくても「次はこうすればいいんだ」と理解していました。自分の考えとベンチの考えが一致すると、失敗も少なくなるんです。
――ライオンズ投手陣の印象はいかがでしたか?
平野 この日本シリーズの印象で言えば、タケ(石井丈裕)がすごかったですよね。でも、他にも(工藤)公康だ、ナベ(渡辺久信)だ、(郭)泰源だって、いくらでもいいピッチャーがいた。「誰が一番すごいか?」って聞かれても、ひとりの名前を挙げるのは難しいぐらい、すばらしいピッチャーばかりでしたね(笑)。
ベテランとして、清原の面倒を見ていた
――1992年当時は38歳の大宮龍男さんに次ぐ、37歳でした。年長者として、ベテランとしての役割などはありましたか?
平野 年齢で言えば、僕は上から二番目だったし、外からやってきた(1987年にトレードで中日から移籍)選手だったので、逆に周りが僕に気を遣ってくれました。ただ、キヨ(清原)との接し方は自分なりに意識しましたね。いつもロッカーでは、「おいキヨ、いるんか? あいさつに来ないから、いるのかいないのかわかんねぇよ」って言ったりしましたよ。
――清原さんに、そのように接したのは理由があるんですか?
平野 鳴り物入りで入ってきた男だから”腫れ物に触る”というのか、周りが扱いに困っている部分があったんです。

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