黄金世代のFWが次世代の子どもたちに伝えたい20年前の経験

それに、ベルマーレに愛着があったし、降格させた責任もあったので、自分の力でベルマーレをJ1に上げたいと思っていました」

 高田はその後もベルマーレでプレーを続けるも、J1昇格を果たすことはできなかった。

 2005年シーズンの途中から横浜FCに期限付きで移籍し、2006年にはザスパ草津(現ザスパクサツ群馬)に完全移籍。2010年のシーズン終了後、草津を退団した。33試合出場4得点と十分な働きを見せながら、契約交渉でゼロ円提示を受けたのだ。

 この時、31歳。しかし、頭の中に「引退」の文字が浮かぶことはなかった。

「この(2010年)シーズン、チームで2番目に多く試合に出場していたので、『もう1年、やれるかな』と思っていたんですが、考えが甘かったですね。実は最終戦の前の練習で、右膝内側靭帯のケガをしたんです。しかも、クラブがベテランを切る方針となって、いきなりクビになった。
 心の整理がまったくつかなかったですね。トライアウトに臨むことも考えたんですが、ケガの状態が悪くて受けられなかった。でも『このまま終わるのは嫌だな』と思って、群馬の大学で1年間、リハビリをしながらトレーニングを続けて、(Jリーグでプレーする)チャンスを狙っていました」

 高田はどちらかと言えば、高い技術を駆使したスタイルではなく、泥臭く、気持ちでプレーしてきた選手だ。

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