近鉄で開花。ブライアントは日本で本塁打アーチストになった


 そんな時、近鉄バファローズのリチャード・デービスが大麻不法所持により逮捕され、退団するという事件が起こる。この緊急事態にバファローズは、ドラゴンズの二軍でくすぶるブライアントのトレードを申し入れた。金銭で移籍したブライアントは1988年、2度の1試合3本塁打を記録するなど、74試合で34本のホームランを放って、その才能を開花させた。そして1989年も、開幕からホームランを量産する。

日本でプレーした8年間で3度の本塁打王に輝いたブライアント(写真右)

 ジョージア州の大学では、農業の勉強をしていたんだ。もともと僕は数学が得意でね。(アメリカン)フットボールにも夢中だった。ワイドレシーバーでね。野球もやっていたけど、始めたのは15歳、高校の時からだった。もちろん、子どもの頃から遊びで野球はやっていたけど、リトルリーグのチームには入っていなかった。だから周りの仲間と比べると、本格的に野球を始めたのはかなり遅いほうだったと思う。
 なぜかって、たしかに家の周りには空き地もいっぱいあったし、野球をするには困らなかった。でも、父は野球をしたことがない人で、野球にほとんど興味を持っていなかった。僕は4人兄弟の3番目で、兄弟や近所の友だちと遊びでやる野球をやれれば、それで十分だったんだ。
 子どもの頃はホームランを打つタイプじゃなかったし、ヒットか三振かというバッターだったと思う。

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