近鉄で開花。ブライアントは日本で本塁打アーチストになった

今はホームランか三振かというバッターだけど、そう考えると、今のほうがマシだね(笑)。
 でも僕は、今も昔も三振は気にしない。今回がダメだったら、次のプレーで頑張ればいいといつも思ってきた。三振に終わったら、次はヒット。ヒットを打てたらその次はホームラン。いつもそういう気構えでいられれば、それでいいんだ。
 高校、大学と、野球とフットボールをやっていたんだけど、高校の時、野球で奨学金をもらえるまでになった。だったら、今度はいかに高い評価を受けてドラフトされるかを考えようと思った。そのために、自分の技術を磨こうと努力した。
 僕は何年もかけて自分のなかに眠る野球の才能を目覚めさせてきたんだよ。おかげでドジャースにやっと1巡目で指名されて(1980年、ドジャースから、1981年にはツインズから指名されるも、下位だったため拒否、1981年の二次ドラフトで1巡目の指名を受ける)、ラッキーだったと思っている。
 ドジャースでプレーできたことも、中日ドラゴンズから誘われたこともラッキーだった。日本に来ないかと言われたとき、これは自分に与えられたチャンスだと思った。ドラゴンズで過ごした時間は約2カ月と短かったけど、とても多くの経験を積むことができた。ドラゴンズが招いてくれたから日本に来られたわけだし、去年(1988年)、ドラゴンズの二軍でプレーしている僕を見て、近鉄バファローズが声を掛けてくれたこともラッキーだった。

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