エース引き抜き、徹夜で連投…。 土橋正幸が語っていた昭和のプロ野球


「あのときは15三振を7回で取っちゃった。8回は取れなくて、9回も取れなくてツーアウトになったんだけど、3対0で勝ってて相手が稲尾でしょ? わたしはもう、それだけでいい、勝てればいいと思った。ところが、次のバッターのセカンドゴロ、エラーになってね。次に河野昭修(こうの あきのぶ)さんが代打で来て、それで三振を取ったんです。
 あのとき、これも自分で言ったらおかしいけど、150キロぐらい出てたと思います。なにしろ炎天下の二軍で鍛えられて、スタミナありましたから。しかしホントにね、9連続なんてのも、 魚屋からプロってのと同じように、フィクションみたいでしょ?」
 58年の『ベースボールマガジン』7月号には、前年に9連続奪三振を達成した阪急(現・オリックス)の梶本隆夫と握手をする土橋さんの写真が載っている。キャプションに〈二人の三振奪取王〉とある。そして何より表紙には、同年にデビューしたゴールデンボーイ、巨人の長嶋茂雄と土橋さんが並んでいる。僕は持参した資料の中から表紙のコピーを抜き取って差し出した。
 一瞬、眉間にしわを寄せて眉をつり上げ、眼鏡の奥で目を見開いた土橋さんは「それは知りませんねえ!」と言った。コピーを手にとってしばらく眺めたあとは表情がやわらぎ、「わたしの孫に見してやりたいよ。はっはっは。本当に知りませんでした」と続けた。
 前年までは無名でまだ実績のない土橋さんが、野球雑誌で六大学出身のスーパールーキーと同等に扱われたのだ。

関連記事(外部サイト)