エース引き抜き、徹夜で連投…。 土橋正幸が語っていた昭和のプロ野球

いかに奪三振記録の注目度が高かったか、うかがい知れる。実際、翌日の西鉄戦、駒沢球場は2万8000人の大観衆で埋まり、初の満員札止めになったという。土橋さんの新記録が話題になってファンが集まった可能性は大いにある。
「次の日の新聞を見て来た人はいたでしょう。わたしは試合後、『新記録だから、いくらケチな東映でもご祝儀出るよ』って監督の岩本義行さんに言われて、お金ないのに同僚と飲みに行ったんです。ご祝儀を当てにして。浅草で午前1時頃まで飯食って、銀座、渋谷と朝5時頃まで行って、朝帰りですよ。そしたら超満員でしょ? 
 結局、その試合も9回に投げたんです。あの当時はそれが普通でしたから。今みたいに1回先発して、5日も6日も休める時代じゃないでしょ? 毎日ベンチ入ってるしね。だからその年から50試合、60試合と投げていったけど、なるべくシーズン中は余計なことしないで体を休めよう、休めようってそんなことばっかり考えてましたね」
 58年は54試合登板で21勝を挙げ、59年には63試合登板で27勝。土橋さんは一躍、エースの座にのし上がっていた。翌60年には12勝23敗と、開幕前の調整がうまくいかなかった影響で大きく負け越したが、チームで二桁勝ったのも、200イニング以上を投げたのも土橋さんだけだった。
「球団は『12勝23敗だから年俸は10パーセントダウン』だって言う。

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