エース引き抜き、徹夜で連投…。 土橋正幸が語っていた昭和のプロ野球

ストライク先行を心がけていた〉と記されている。ゆえに計算や研究をあまり必要としないのでは? などと思っていたが、じつは違った。”江戸っ子”の気っ風のよさ、威勢のよさ、というイメージに引っ張られてしまっていたのか……。
「プロのバッターっつうのは1番から8番までね、ピッチャーを除いたら、甘い球なら誰でもホームランを打つぐらいの力はあるわけでしょ? だからそのへんも常に計算して投げてました。で、いいバッターの前にランナー出さないとかね、そういうのを全部、考えながらやってましたから」
 話題はそれから「いいバッター」へと移り、南海戦で野村克也に打たれた決勝ホームランの思い出が語られると、野村が楽天の監督だった当時、沖縄・久米島のキャンプまで田中将大を見に行った話につながった。図らずも田中が出てきたところで、僕は沢村賞の要望の件について尋ねた。
「あれはね、少年野球の子どもに真似してほしくない、というのがあったんです。われわれ指導に行って、子どもたちを見てますから。だいたい、あんまりいいもんじゃないですよね。まぁ、本人がいいか悪いかは別ですよ。でも、完投勝ちで試合終了とかならまだいいけど、三振取るたびに吠えたりするのはね、はなっからよくない。だから、われわれの時代のエースは誰もやらなかった……。

関連記事(外部サイト)