無名大学が全国の強豪に激変。ドラフト候補がもたらした意識改革


 大学選手権での東海大戦、宮崎産業経営大の選手たちの奮闘、そして号泣とともに印象的だったのが、「日本一になれず悔しい」と全員が口を揃えたことだ。なぜなら、今から3年前、本気で日本一を目指していたのは杉尾だけだったからだ。
 宮崎で生まれ育った杉尾は小学生で野球を始め、中学の宮崎リトルシニア時代には九州選抜に選ばれた。高校は、武田翔太(ソフトバンク)らを輩出している宮崎日大に進学。3年夏にエースとして甲子園の土を踏んだ。
 そんな杉尾には九州のみならず、名の知れた関東の大学からも声がかかった。だが杉尾が選んだのは、それまで全国大会に無縁だった宮崎産業経営大だった。「甲子園で初戦敗退し、宮崎県民のみなさんの期待を裏切ってしまった」という思いから、地元で日本一を目指すと覚悟を決めた。
 1987年の創部以来、指揮を執る三輪正和監督は「ウチに来るなんてウソでしょう……と思いましたよ」と、当時を振り返って笑う。
 練習する環境にも大きな制約があった。グラウンドは系列高校の鵬翔が優先的に使うため、練習は火曜と木曜の夕方と土曜の午前中だけ。選手の意識もそれほど高いものではなく、居残り練習に参加するのも、杉尾をはじめ数人しかいなかった。
 そんなチームを変えようと、杉尾はミーティングで先輩にも積極的に進言した。耳を傾けてくれる部員もいたが、浮いた存在に感じてしまうこともあった。

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